横田神社に秘められた謎…
はい。三加茂 横田神社でございます。ちょっと参拝しづらい場所に鎮座しているのは言いっこなし。こちらは阿波国美馬郡延喜式内社 横田神社に比定されている由緒正しい社なのであります。
右社之儀者式内小社ニテ往昔ヨリ横田神社又弁財天トモ称ス、元社地凡二町四方程アリテ四周池ヲ繞ラシタル大ナル社ニテアリシト云、其池聊存ス、又此社ヨリ一町程北ナル地ヲ池ノ側ト云フ、且社地二町四方程ノ地名総テ横田ト云フ、本社正面ノ地字横杭ト云フ、其正面ヨリ北手ノ田地総テ南神田ト唱フ、依テ明治三庚午年十一月式社御取調之節御確定ニ相成候
(明治11年神社取調帳より)
元々は200メートル四方の広大な境内を有し、池で囲まれていたそうです。池で囲まれていたためか弁財天と呼ばれていた経緯もございます。そして周辺の地名も横田など。。。
はい。ここで質問。横田神社の”横田(よこた)”って何なのか?それを語れる方いらっしゃいますか?
答えは⬇︎⬇︎⬇︎
過去に掲載したのですが、反響が薄かったのでもう一度掲載しますー。
(千葉家系図より)
横田五郎阿州三好郡加茂庄二終 彼地横田神社ナリ。胤元常ニ信仰ス。毎度夢見タリ軍事ニ勝利アリ。姓ヲ横田ト称シ 御神、人ハ弁財天ト云シ阿波国五十社ト聞ク。
(入田町の府中殿遺跡)
入田村阿津真、笠木周辺に府中殿町という集落あり。其の昔は一の小城ありてその城下なるを以て府中殿町と附したるものならん。
その城主は横田内勝太夫常宗ならんか。横田内勝太夫常宗にして一家四人あり。粟飯原氏なり。当家は上家の別家 粟飯原弾正左衛門尉栓弼なり。三好郡賀茂村居城の時の姓を横田と改む。彼の地に横田の神社あり。無相天(⬅︎弁財天の誤写)といふ。
(千葉家系図より)
千葉家系図でも様々に分派しておりますが、結論的には大粟姫(大宜都比売命)の末裔である氏族であり、この血を分けている横田氏も大宜都比売命、粟凡直の氏族なのでございます。
千葉家系図にこっそり記されている折紙の内容…
粟飯原ハ国造家嫡流也。その末流モ大名ニ成シモ其ノ祖ヲ千葉トシテ系ヲ残セシハ誤リナルベシ…
三加茂に移った横田三郎こと千葉胤元が常に信仰していたのは大宜都比売命、千波足尼、粟凡直かは今となっては謎ですが、横田は粟飯原にして国造家の血を分けたる氏族。古より横田神社に祭祀されていた神とは… それが謎なのです。
その謎が解ければ一度は合祀された鴨神社、田寸神社との関連も見出せることができるかもしれませんね。