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awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

天若日子の神陵 (経塚大権現)

徳島市渋野町入野。
「経塚大権現」は徳島動植物園の真西の山に。
 
「経塚大権現」は、延喜式内社 「山方比古神社」と推定され、祭神は「天若日子」と伝承されています。
 
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天若日子」って誰?って方はここから。
 
天若日子」は葦原中国平定の際に「天穂日命」の次に遣わされ、天孫族から大国主神に寝返ったとみなされたことから何らかの形で処刑(神話では弓矢で射殺)されています。
 
天孫族出身のエリートであるにもかかわらず「命(ミコト)」、「尊(ミコト)」の称号がつけられないまま今日まで伝えられています。
 
さて、それでは本題の御神体の話に移りましょう。
 
この「経塚大権現」は古代の神祀り様式である古墳を祀っているために社殿はなく、積石塚を御神体として祀っているようです。
 
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枯葉の堆積でわかり難いですが、注意深く周囲を確認すると御神体の積石塚より規則的に立石が配置されていることがわかります。
 
また積石塚の存在感が凄過ぎて気がつきにくいですが、積石塚があるエリアを含め、周囲30mほどが古墳であると考えます。
造られた時のままで残されているようです。
 
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またこの伝承の謎も面白いと思います。
天若日子の父のアマツクニタマは下界に降りて葬儀のため喪屋を建て殯をした。妻の下照姫の兄、味耜高彦根命(アジスキタカヒコネ)も弔いに訪れたが、彼が天若日子に大変よく似ていたため、天若日子の父と妻が「天若日子は生きていた」と言って抱きついた。すると味耜高彦根命は「穢らわしい死人と見間違えるな」と怒り、剣を抜いて喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまった。
天若日子味耜高彦根命が酷似していたとされる内容については、二柱それぞれを埋葬した古墳の類似性を指していると云われており、味耜高彦根命は別名「迦毛(かも)の大神」と呼ばれ、阿波では三加茂町の加茂山 丹田古墳に眠るとされています。
 
確かに見ようによったら似ていると言えば似ているような…(苦笑)
 
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「経塚大権現」は冒頭に書いた通り、徳島動植物園の真横の山頂にあります。

園の駐車場を正面入口から入り、右折して駐車場には入らず左側の園の敷地に沿う道に入ります。
 
そこから観覧車が真横に見える園西側の池に出ましょう。
 
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看板がありますので、そのままクルマで登ってしまえば「壱の鳥居」を傍らに確認できれば「経塚大権現」まで行けます。
 
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ただし道は細くて荒れています。進入は自己判断でお願いしますね。
 
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またまた話は逸れますが「天若日子」を巧に囲った「大国主神」は当地に近い勝占町 中山 通称「恥づかしヶ峯」の 「勝占神社」に眠っています。勝占神社を囲む草創神社(三社) - awa-otoko’s blog
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このように阿波では古事記日本書紀に記載される神話が地名や伝承で当てはまり、その場所の古墳や神社から紐解くことができます。
 
今回紹介さしました「経塚大権現」を間近に見て、実際に触れてその精巧な石積みを確認してみて下さい。
いずれ価値が上がって触れなくなる代物なるかもしれませんよ。(笑)