awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

日知りと月読み(その弐:月野月読命の宮跡 斎社)

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前回は日智子王神社から「日知り」についてでした。今回は「月読み」と「月読命」の相違点を中心に進めていきます。

阿波忌部氏を背景として種穂山や山崎忌部山などと関わりが深い美郷村美郷村は昔から木屋平村神山町鴨島町、川島町方面の要路となっていました。(木屋平の三木氏、松家氏、中枝の河村氏などの武将が前衛基地を置いていた場所ですね。)

f:id:awa-otoko:20170909192153j:image美郷村月野から望む)
そのような美郷村の在所のひとつである「月野」。当地は山の上にはめずらしく、五、六ヘクタールもの広い傾斜の緩やかな畑が広がっている場所なのです。そもそも「月野」という地名ですが、これは皆さんの予想通り?に月読命を祀っていたので付けられた地名だそうです。

月野の由来

ずっとずっとその昔、天の上に二つあったお月様のうち、ひとつが明るい光を放ちながら在所に下りてきた。月が下りたはずみからか、今まで山であった場所がちょうど円錐形にへこんで、なだらかな傾斜のかかる広い土地になってしまった。在所の人間は月が降臨したということで大変よろこび、その場所に立派なお宮を造り、月の神様である「月読命」を祀り、月が作ってくれた広い土地を「月野」と名付けた。それ以来、村は豊かになって月読命の祭祀は継続された。時は過ぎ、由来が忘れられた昭和の初年、「月読命の宮」は麓の広幡八幡神社に合祀された。お宮の跡は「中屋の窪」と呼ばれて社殿の石が残されている。

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小さい隕石でも落ちたんでしょう。落下した隕石を神として祭祀した?または天体を観測していた当時のシャーマンである「月読み」を神として崇めて祭祀したのか?どちらにしても月に関わることから、三貴神に含まれる「月読命」として伝承されるに至ったのだと思います。

月読命(つくよみのみこと)

記紀古事記日本書紀)において、ツクヨミ伊弉諾尊伊邪那岐命・いざなぎ)によって生み出されたとされる。月を神格化した、夜を統べる神であると考えられているが、異説もある(後述)。天照大神天照大御神・あまてらす)の弟神にあたり、須佐之男建速須佐之男命・たけはやすさのお)の兄神にあたる。

ツクヨミは、月の神とされている。しかしその神格については文献によって相違がある。古事記ではイザナギが黄泉国から逃げ帰って禊ぎをした時に右目から生まれたとされ、もう片方の目から生まれた天照大神、鼻から生まれた須佐之男とともに重大な三神(三柱の貴子)を成す。一方、日本書紀ではイザナギ伊弉冉尊(伊耶那美・イザナミ)の間に生まれたという話、右手に持った白銅鏡から成り出でたとする話もある。また、彼らの支配領域も天や海など一定しない。

この、太陽、月とその弟ないし妹という組み合わせは比較神話学の分野では、他国の神話にも見られると指摘されている。

日本神話において、ツクヨミ古事記日本書紀の神話にはあまり登場せず、全般的に活躍に乏しい。わずかに日本書紀・第五段第十一の一書で、穀物の起源として語られるぐらいである。これはアマテラスとスサノオという対照的な性格を持った神の間に静かなる存在を置くことでバランスをとっているとする説がある。同様の構造は、高皇産霊尊高御産巣日神・たかみむすび)と神皇産霊神神産巣日神・かみむすび)に対する天之御中主神(あめのみなかぬし)、火折尊(火遠理命(ほおり)・山幸彦)と火照命(ほでり・海幸彦)に対する火酢芹命(火須勢理命・ほすせり)などにも見られる。

ツクヨミの管掌は、古事記日本書紀の神話において、日神たるアマテラスは「天」あるいは「高天原」を支配することでほぼ「天上」に統一されているのに対し、古事記では「夜の食国」、日本書紀では「日に配べて天上」を支配する話がある一方で、「夜の食国」や「滄海原の潮の八百重」の支配を命じられている箇所もある。この支配領域の不安定ぶりはアマテラスとツクヨミの神話に後からスサノオが挿入されたためではないかと考えられている。

ツクヨミスサノオとエピソードが重なることから、一部では同一神説を唱える者がいる。(Wikipediaより)

昔から夜空に二つの月があがるという伝承をよく耳にします。それが天文そのものの事象なのか、古代の貴人を月や太陽に例えた比喩なのかは正直よくわかりません。

f:id:awa-otoko:20170909192257j:image月読命の宮跡付近)

awa-otokoの考えですが、「月読命」という神様をひとつの時代、ひとりの神として認識してしまうと簡単に歴史の罠に嵌ってしまうと考えています。(月読命に限らず全ての神名に当てはまる。)

前回も記載したように「月読み(月読命)」とは、天文学、気象学に長けた、いわゆる古代のシャーマンのことを指していたのではないのかと考えられるのです。

f:id:awa-otoko:20170909201514j:image(粟国造粟飯原氏系図より)

理由として、様々な地域、様々な場所、条件の相違があるにかかわらず「月読命」は伝承されており、古代より月(天体)の観測を行う場所には「月」をキーワードとした地名、そしてお月見神事が伝承されているからです。(月読みという職業が存在していたということです。)

例えば、過去記事にある粟國造家 粟飯原氏の祖先にも「月読命(月夜見命)」が存在します。これは粟飯原氏の祖先の中に天文学や気象などの知識を有して一族を率いた人物が存在したからではないでしょうか。まぁざっくり言えば、集落ひとつに「月読み(月読命)」が一人以上いてもおかしくなかったのかもしれません。

なのでイザナギの禊祓いから出現した三貴神の「月読命」は、今回の「月読み」とは全く別の神でなかったのではないかと考えるのです。(子孫や同じ血族の可能性はあるかもしれない。)

おっと、、、熱くなってしまいました。 次回に続く月野のおはなしに戻しましょう。

 

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実はそんな月野。中世にお城があったのですよ。

月野名の平坦な畑地内に今鞍屋敷の地称あり。「斎社(いっきしゃ)」と呼ばるる小祠ある地、今鞍氏の旧跡と伝えられる。

月野には月野城と呼ばれた山城がありました。時代は鎌倉時代末期から南北朝時代ですね。城主は今鞍刑部左衛門長正です。

おっと今鞍氏。(聞いたことがあるでしょう。忌部氏です。今は後◯田氏ですね。)

忌部氏の氏族今鞍進士、東山中央南部月野名に住み、今鞍の地名を称す。上部に鎌倉邸跡同氏の拠所なり。(木屋平 三木家文書より)

今回はここまで。

次回は今鞍進士の子孫とともに移動した「月読命の宮こと斎社」についてです。乞うご期待。(*゚∀゚*)