awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

愛染院?藍染院か。(板野町 愛染院)

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愛染院(あいぜんいん)は徳島県板野郡板野町に所在する高野山真言宗の寺院。山號は金鶏山。本尊は不動明王。別名那東のお不動さん。四國八十八箇所霊場第三番札所金泉寺奧の院。
御詠歌:まつが枝に 御ひかり照らす 金鶏の 佛を頼め たすけまします
伝承によれば平安時代前期の弘仁7年(816年)四國を巡錫中の弘法大師空海)がこの地に霊気を感じた。そこでみずから不動明王を刻み、ここに安置したのが始まりと言われている。
當院には戦國時代この地を治めていた板西城主の赤澤信濃守崇伝の廟が祀られている。赤澤信濃守は天正10年(1582年)長宗我部元親の進攻にあい、合戦中に草鞋の紐が切れ討ち死にしたと伝えられている。いつのころからか、この廟に參詣すると腰から下の病が治癒するとの信仰を集めるようになった。治癒した信者は當院に草鞋を奉納する習わしがある。
金泉寺より西へ約3km、大日寺へ向かう遍路道の途中にある。地元では「那東のお不動さん」として親しまれている。本尊は弘法大師が刻んだと伝える。また、納経の墨書は刷毛喜梵字といわれるもので、全國的にも珍しく四國ではここだけである。(Wikipediaより)
 
はい。三番札所 金泉寺奥の院、愛染院でございます。

 

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最近、この場所は少し気になっておりましたが、やっと現地に赴くことができました。
上の引用からも霊気を感じて空海が…とありますが、うぅ…なんか空気が重い?感じです。(これは後ほど。)
 
さて、この愛染院。本蔵が愛染明王じゃなく不動明王なんです。それではなぜ愛染院と呼ばれるかご存知でしょうか。
榮村下庄犬伏久助家世々農作を業とし藍の栽培製造に従ふ、當時藍の製法一定せず、藍玉粗大にして質柔き事泥土の如く、貯蔵中不測の損害を招く事多かりき、久助之を憂ひ潜心研究の結果一種の製藍法を案出し、之を普及せしめて當業者の苦痛を救へり、即ち現今行はるる製藍法是なり。
文政十二年八月歿す享年八十二、久助歿後其高弟役郎なる者、師の偉業を後世に傳へんと欲し、甞て自ら彫刻しし處の久助の木像を松坂村松谷愛染庵に安置ししに、藍業者の久助を敬慕するもの、久助の通稱藍久と愛染明王とを混同し、藍久様と稱し葉藍を供えて崇敬し、福利を祈る者今に至りて絶たず… 
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江戸時代の染色家である犬伏久助を崇敬した弟子が木像をこの場所に安置したために愛染明王と藍久様が混同したとあります。
 
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(犬伏久助像) 
 
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(二枚ともネットから拝借させて貰いました。m(_ _)m)
 
私の予測では代々伝わる本蔵 不動明王がわからなくなるはずもなく、藍久様が藍染様になり、そして愛染様になってしまったのだと考えます。珍しい染色の神様ですね。
 
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以前にも書いた(曖昧に記憶がある… )ように藍玉の製造は徳島藩に多大な利益をもたらせました。
吉野川沿岸の板野町、上板町の藍豪農が大層にお祀りしたようですね。
 
そして後回しにしていた何とも言えない霊気… ここからです…。
 
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赤澤信濃守の墓。
不動庵内松樹蓊鬱たる下にあり、脚気の神として附近村民の尊信淺からざるも、其祖赤澤兵庫守宗定の墓に至りては、久しく土中に埋没しありしを以つて之を知る者極めて稀なり。
とあります。
ということは赤澤兵庫守宗定の墓もあるということです。
附近より練石、粟石、青石に類する古き石塔墓碑多く出づ、庵主維新の頃よりこれを集めて不動堂の傍に排置し、今や其数百を以つて敷ふるに至れり、其中板西城主赤澤兵庫守を葬れる元久二丑年正月二日と刻せる寶篋印塔の墓あり。
残念ながら赤澤兵庫守の墓は未確認です。
それより脚気の神である赤澤信濃守の墓の凄いのなんの。
 
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写真ではわからないと思いますが堂の中に入れば一面、わらじ、わらじ、わらじ… (すごい雰囲気…)
その他、堂の傍には赤澤信濃守と同じくして戦死した兵士の墓、墓、墓…(もちろん撮影せず)
 
そもそも信濃守は戦闘中にわらじの紐が切れ、それが原因で斬られて亡くなったとか。
ご利益をもたらすのは無念による負の力を利用したものかも。まぁ強いていえば「明神」というところでしょうか。(けして負(陰)の力を否定している訳ではなく、個人的には合わなかっただけ。ご利益はあると思いますよ。^ ^ )
 
あぁ、言い忘れてました。愛染院、赤澤信濃守の墓の背後は山裾になりますがたぶん真後ろには古墳があるはず。
場所的には古代から登美の一族が栄えた場所。だから今でも○富、富○姓が多いんです。
もしかしたら本物の○○鎌○の古墳があったりして。(これは妄想)
 
それでは夜も更けてきたので今回はここまで。
結局三日連続で投稿してしまった…。さっさと寝よ寝よ。(笑)