awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

宍喰(ししくい)の地名由来

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(宍喰 八坂神社)
 
今回は宍喰の地名の由来。
 
宍喰(ししくい)は腳咋(あしくい)の転訛とされる。脚咋は「葦(イネ化の植物)をつくって主食とした住民」。履中天皇の時代に大和朝廷から鷲住王(わしずみおう)がこの地に遣わされ、宍喰川下流の平野部を利用した農耕が近隣地域に先立って発達した事による。時代とともに狩猟に纏わる宍(カン、しし、にく)が使われるようになり、鎌倉時代以降は宍喰と呼ばれるようになった。(Wikipediaより)
 
通説ではね…
 
播磨風土記には履仲天皇が和奈佐に行幸したことがあり、そこでしじみを食べたことがあるという意味になる記事があります。
 
播磨国風土記 美嚢の郡 志深(しじみ)の里】
 
志深(しじみ)と呼ぶのは履中天皇が食事をされた時、信深(しじみ:蜆)の貝が御飯を入れた筥(はこ)のふちに上がって来た。
その時に仰られたのには、「この貝は阿波の国の和那散(わなさ)に行った時に食べた貝である。」と言った。
 
はっきり履中天皇が阿波の和那散でしじみを食べた言った記録が残っております。
 
徳島県海部郡海部町鞆浦のある海を那佐湾と言い、那佐湾の海岸一帯の事を古くは和奈佐と呼んでいました。
 
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(奈佐浦)
 
また、那佐湾は奈佐の浦。
阿波の國の風土記に云はく、奈佐の浦。
奈佐と云ふ由は、其の浦の波の音、止む時なし。依りて奈佐と云ふ。海部(あま)は波をば奈と云ふ。
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awa-otoko.hatenablog.com

 

阿波国風土記にも記録される和奈佐。
 
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(宍喰 八幡神社
 
よって履中天皇が阿波でしじみを食べたのは
 

「しし(み)くい」。宍喰です。

※「宍(しし)」。しじみの産地の宍道湖と同じ漢字

 
ちょっと苦しいなぁ〜。。。
 
どこを探しても「宍」という字は肉(猪や鹿の)という意味しか記載されていません。
 
時代の移り変わりとともに「しじ(み)」は「宍」に置き換えられたのでしょうか。
 

「宍喰(しじ(み)くい)」

やっぱりちょっと苦しいなぁ〜。(苦笑)
 
次回はまぢめに投稿しますぅぅ。