awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

大日寺は船盡神社の別当寺(大日寺、船盡神社、一宮神社、船盡比賣神社、麻能等比古神社)

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大日寺

四国第十三番霊場である一宮町 大日寺弘法大師の開基にして蕉中分國中寺の近くにあります。
 
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(一宮神社)
 
しかし大日寺は元来、神山町 船盡神社の別当寺であり、一宮神社の別当寺であった神宮寺の廃絶と共に現地に移動して一宮神社の別当寺となったもの。これは多くの人が知らない風化された事実です。
 
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(船盡神社)
 
このように別当寺(大日寺のことね)が設けられていたほど繁栄していた船盡神社は現在阿波の古代史研究家以外には認知度が低い寂れた神社となっており非常に残念であります。
 
船盡神社は清和天皇の貞観十四年(八七二)十一月阿波国船尽比売神社に従五位下とみえ、船盡とは船着き場(ふなと)のこと。
すぐ下流の式内麻能等比古神社(祭神は水門の神速秋津比古命)と夫婦一対で祀られたものと考えられています。
 
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(麻能等比古神社)
 
すなわち船盡神社の祭神 船盡比賣は速秋津比売命ことで、すぐ上流の少童神社と併せて重要な古代の関所でありました。
 
鮎喰川は大正年間まで帆を懸けた船によって物資が上流まで運ばれており、さらに昔は水位も高かったことから、上流域に存在した古代高天原神山町)に上る要路であったと推定できます。
 
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(船盡比賣神社)
 
このように古代では船盡神社と対岸の船盡比賣神社は高天原山上民族領域と阿波海人族領域を別け隔てる役割を果たしていたことが考えられ、往古から多くの人が行き来した船盡神社周辺は栄えていたということです。(蜂須賀が徳島城を造成する以前は船盡神社周辺の一宮町が阿波の行政の中心地)
 
ちなみに大日寺の元地は現在調査中。朗報を待て!(笑)