蔵本三谷の少彦名命(佐古 椎宮神社)
加茂名村 蔵本三谷に粟島神社あり、少彦名命を祀る。元阿波郡柿原村にありしを徳島城裏鬼門の守護として佐古十四丁目に置き、當時附近一体の地茫漠たる柳原なりしを以って柳原の名に呼ばれたり、其の後三谷に遷り以って今に至る、里俗祭神を女神と稱するは美しき神なるより誤りたるものなるべく、彩色を施しし、神体の木像いづれとも甄別し難し。
「里俗祭神を女神と稱するは美しき神なるより誤りたるものなるべく… 」とあることから、これは現在の椎宮神社の祭神 木花咲耶姫のことを指しているのではないかと考えたのです。
前記を引用した文献から椎宮神社の由緒も抜粋してみますと…
椎宮神社は蔵本村三谷にあり木花咲耶姫命を祀る、傳へ云ふ往昔出水の際當社神体板野郡大山村大字椎本より名東郡矢三村に漂着し、更に當處に至り之を椎宮神社と唱へ、椎本村にては其古宮を祀り、村名をも稱するに至りしなりと、叉一説に名西郡櫻間村より轉々此處に遷れりと云ふ。
このように椎宮神社が移ってきた経緯もいまいちハッキリとしません。(個人的には上板町椎宮神社が元社で別宮川(現 吉野川)の出水の際に名西郡石井の櫻間へ流れて櫻間神社となり、さらに出水により矢三町の八幡神社へ、その後に分祀により現在の椎宮神社となったと考えている)
(上板町 椎宮神社)
(石井町 櫻間神社)
そもそも椎宮神社と呼ばれる以前からその場所に何かを祭祀していた可能性も高く、その一つの例をあげると牙齒神社があります。
牙齒神社は蔵本村三谷にあり、里俗傳ふるによれば往昔蛇渓に大蛇棲みしを里人射て之を斃せしに、其牙齒神社より流れて之に觸れし者は皆害を受くるを以って、儈銕崖爱處に祠を建てて祀り以って今日に至りしと。
(白龍神社 牙歯神社跡?)
少し短略的ですが、蛇といえば大物主命(大国主命)。大国主命は少彦名命とセットで祀られていることが多く、また粟島神社 少彦名命はもともとは阿波郡 柿原村から移動されたということから、御諸山 九王野神社から分祀されてきた少彦名命と考えてよいでしょう。
蔵本、佐古の神社伝承については中世 蜂須賀時世の記録が主なものとなっていて、それ以前は明確になっていませんので何とも証拠はありませんが、阿波に散らばっていた古代(阿波)神を蜂須賀がかき集めて徳島城築城の折に裏鬼門守護の名目で集合させたのが佐古、蔵本エリアではなかったのかと勝手に考えているのです。
半分寝ながら書いて文章がおかしいのでオマケ。
椎宮神社境内社にはお菓子の神様も鎮座しております。詳しくは由緒書をみてネ☆