日本一の五百羅漢(地蔵寺 奥之院 羅漢堂)
板野郡矢武村にあり。別当寺は庄厳院 地蔵寺。
当寺は弘法大師の遺跡にして一本寺なり。此山に往古より羅漢原とてありける。
去る宝暦の頃より願主ありて檀信を十方にもとめ、日あらずして広大の精舎を創建せり。此辺に筆塚とて古跡あり。
(阿波名所図会より)
(現在の羅漢堂)
嵯峨・淳和・仁明の3代の天皇の帰依が篤く、熊野権現の導師であった函上人が、権現の霊木に2尺7寸(約80cm)の延命地蔵尊を刻み、大師が刻んだ地蔵菩薩を胎内に納め、また、本尊が勝軍地蔵というところから源義経などの武将の信仰も厚く、当時は伽藍の規模も壮大で26の塔頭と、阿波・讃岐・伊予の3国で300あまりの末寺を持ちました。
しかし、天正10年(1582年)に長宗我部元親の兵火によりすべて焼失。江戸時代、徳島藩主蜂須賀氏により再建されたのです。
およそ千二百年の昔より法灯連綿として受け継がれてきた真言宗の古刹であり、奥之院には日本一の規模を誇る「五百羅漢」を有し、荘厳なさまを展開しております。
はい。まず「羅漢とはなんぞや」という事で、簡単に説明しますと「羅漢」とは、お釈迦さまの弟子であり、仏道修行して阿羅漢果という人間として最高の位を得た人のこと。その姿は喜怒哀楽の表情を浮かべた人間味溢れる仏様なのであります。
奥之院である羅漢堂は地蔵寺本堂の北側に位置し、コの字型をした木造建築。
しかも高さ四尺の釈尊は全て木造で回廊を埋め尽くした等身大の五百羅漢が安置された珍しいもの。
安永4年(1775年)、実聞•実名という兄弟の僧によって諸国を行脚した際に得られた浄財で作られました。
説明長過ぎですね。
ではでは、さっそく入ってみましょう。