流れの宮(雨戸明神)
今回のテーマは流れ宮。
(流れ宮とは水害で社殿や御神体が流され、留まった場所に移転、または分社とされた経緯がある神社を(勝手に私が)呼んだもの)
その後に「雨戸」が「天戸」に変化し、式内社 天椅立神社の論社に挙げられるようになったそうです。
(なんといういいかげんな理由=3 確かに現在の天椅立神社のすぐ近くに鎮座していますが… 笑)
そのために太古より洪水被害に悩まされ続けていた歴史があります。しかし、その反面で洪水により肥妖な土地を得ることができ、栄養価の高い農産物を作ることが可能となっていたのでした。
これが阿波は食の国「大宜都比売命」と呼ばれた一つの理由ではないかと。
(この解釈から考えると肥妖な土地を大宜都比売命とすると、大宜都比売命を殺す神、素戔嗚神(記)は洪水そのものを指し、月読尊(紀)は潮の満ち引き、暦、時間を司る神であるので、洪水が訪れる時期やタイミングのことを指していると考えてみたり… )
はい。このような「流れ宮」は阿波ではたくさん伝承や記録に残されており、如何に洪水被害が大規模で頻繁に発生していたのか現在でも手にとるようにわかるのであります。
例えばこの「雨戸明神」の他にも…
まぁ… 挙げだしたらキリがないのですけれども。(笑)
このように神様によっては、ゆっくり時間をかけて移動し続けていたのであります。
さて、流れ宮のように移遷先が変わったり、分祀されると後年に生まれる問題が出てくるのです。それは…
「元社」の選定!!
小さい祠や村社レベルであると、特に揉める必要はないのでしょうが、式内社レベルになるとそうはいきません。
式内社となると広大な社領を許され、中枢にあげる上納金の多くが免除されるうえに寄付も多額。
関係が薄い神社も元社不明となっている式内社に我こそはと手を挙げだしたのであります。
例えば式内◯◯神社では、論社の神主が他の論社の証拠の品の廃棄や、社殿を放火した事例も。∑(゚Д゚)
このように絡みに絡みにきった「元社」を、現在は地元有志の古代史研究家が調査し、ワンピースずつですがパズルを埋めていっております。
邪馬壹国論争や天皇発祥地論も謂わば「流れの宮」(と同じ)ですね。
まだまだ決着には時間がかかりそうです。