awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

弥吉明神の御神像

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御神像の御姿は烏天狗を型取り赤銅によって造っていると伝えられている。顔は烏天狗で身体は座して合掌しており、身の丈は一寸内外。現在の明神町 大麻比古神社(おおまひこじんじゃ)の御本尊である。
 
この御神像は中世より一宮城主であった一宮一族に三百年近く秘密の内に守られることになります。盗まれるまでは… ですが。。。
 
天正10年(1582)、本能寺の変に際して一気に阿波を平定した長宗我部元親は、同盟関係にあった一宮城主一宮成祐(小笠原成祐)を夷山城で謀殺した。
一宮一族は城代家老の赤沢六衛門、その弟の赤沢六左衛門、一番家老 森備前守に守られ、一宮城中の御神体を奉じながら鮎喰川を渡り難を逃れた。誤報と祈りながら帰路に着いた一宮成祐の家臣は一宮城の回復も絶望的状況にあったことから主君に殉じて自害、一宮一族は代々城主が定めた保護地である「鹿野原」を安住の地と決め隠遁することになる。
一時的に一宮城主に就いた長宗我部元親豊臣秀吉に反撥したために六万の兵に一宮城を包囲され、水路を断たれて土佐に退却した。秀吉の一宮城攻略と相成り長宗我部元親は土佐一国安堵となった。その後、阿波には蜂須賀家政が入国し、徳川の世に移ることになり、これより一宮一族は隠遁生活から晴れて開放されたのである。
 
 
しかし、このような混乱に乗じて一宮城中守護の御神体は盗まれてしまいます。
 
御神体は四宮某と名乗る男の手により徳島市の弥吉明神に移したとされ、御神体を持ち出すのを見つけた者が「その御神体を何処に持って行くのか」と請問すると返答に困り、四宮氏を名乗り二軒屋の弥吉明神に祀ると木綿の布を巻き持ち帰った。
 
その他の説では、、、
 
蜂須賀氏の阿波入国の頃、伊予から河野氏という人が移住してきて家来になった。一宮城にあった「大麻彦社」をここに移し「大麻彦社大明神」、「弥吉明神」と称して祀ったところ年を経て参拝者が増えた。明治になって「大麻比古神社」と改称したと伝わる。一説に、名西郡にあった「麻能等比古神社」という別の神社が移されたともいわれている。

 

 
二つの説を統合して考えれば、御神体の盗むことを背後で指示したのは蜂須賀と考えられないでしょうか。弥吉なる者も素性がはっきりしません。きっと間者でしょう。
しかし、伊予から来た河野氏が蜂須賀の手中におさまることを危惧して指示したとも考えられます。。。また盗まれた。という表現も上の状況であればおかしいです。御神体を渡さなければならない理由があったのかもしれません。
現在となっては記録も残っていませんのでいづれも断定できるものはありません。残念ですが。。。
 
さて、前置きが長かったですがここからがとても大事な部分。
 
盗まれる前に御神体を奉仕していた場所が現在の入田町 「大麻比古神社」の鎮座地です。
 
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そうです。一宮一族の隠遁地「鹿野原」です。
 
大麻比古神社」の社名となる以前は「一宮村守護職安鎮座 八百萬神 天神地祇鎮守大権現」とされ、何かしら建立に至る記録もあります。 
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このことから神町大麻比古(おおまひこ)の元社であるという事になり、直接的には板野郡大麻町鎮座 、現在の阿波一宮と認識されている「大麻比古神社(おおあさひこ)」の御祭神とは関係が無いように思われます。
 
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一宮城中の鎮守は五柱存在していたようで、その中の一柱「大麻比古神」。
一宮城鎮守の神は現在の「大麻比古神社(おおまひこ)」となります。
 
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また、「大麻比古(おおまひこ)神社」の御祭神は「猿田彦命」でありますから
大麻比古神」=「猿田彦命」。
 
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大麻町鎮座の「大麻比古(おおあさひこ)神社」も同じ事例を挙げられていますから、ここはシンプルに「大麻比古神」=「猿田彦命」と考えればいいのではないでしょうか。(だんだんいい加減になってきた。。。)
 
ややこしいですがついてきてください。
 
結論
入田町の「大麻比古神社」は明神町の「大麻(おおまひこ)神社」の元社。
一宮城中に祭祀される以前は「麻能等比古神社」として「大麻比古神」即ち「猿田彦命」が祭祀されていた。
 
ではダメですか?(苦笑)
 

 
やはり「大麻比古神」=「猿田彦命」の謎という振り出しに戻ってしまいました。ここからは入田町の東西竜王山に残る天狗伝説、佐那河内村に伝わる猿田彦伝説を調べないといけないですね。
 

 
ちょっとだけ前進したような、しないような…
核心に迫るのはまだまだ時間が必要なようです。。。