五柱寄りて寄明神(一宮町 寄神社)
与利大明神 前に申通成助居城の鎮守ニ而御座候
一宮城本丸の東北方約五〇〇メートルのところに「御殿居(おどい)」と呼ばれる平時に城主の居城がありました。南側と西側に狭くなった堀跡が譬田(たといだ)用水と呼ばれる農業用水となって残っております。
御殿居の規模は北側と東側の境界が不明瞭なために正確な面積は不明ですが、南北約一四〇〇メートル、東西約二三〇〇メートル程度と考えられ、一宮の町並みとの高低差はあまりみられず、いくらか御殿居の方が低くなっています。内部は寄神社があるほかは全て水田になっております。
さて、この御殿居跡内部に鎮座している「寄神社」、ひじょうに興味深い神社であります。
この「寄神社」は一宮城内の各所にあった神社や祠を集めて合祀したもので、「一宮古城跡書」には居城の地の記述に続いて下記の説明が記録されております。
右城内鎮守五神ニ而候処唯今相殿ニソ寄り明神と相唱申候神体ハ 祇園牛頭天王 豊玉姫命 蛭子神 大己貴命 大麻彦神(一説に素左之雄尊 稲田媛命 大己貴神 事代主命 大麻彦神)
とあり、五社を合祀したため寄明神という名称になったことがわかるのです。
上に貼った投稿の際に大麻彦神は分祀され、冨田浦の大麻彦神社になったことは記しました。
さらに五柱のうちの豊玉姫命は…
一宮城が鎮座していた一宮山の南側、佐那河内村に移動した伝承が残っていたり、、、
一宮城の東側、お隣の八万町へ移動したり、、、
蛭子と大己貴命はここかな…
そもそも現地(一宮城跡 明神丸)に立ってみますと、散らばった神々は明神丸、本丸から見渡すことができる範囲の主要な山の麓周辺に祀られていることがわかります。
そして本丸には
若宮八幡宮一宮明神末社一宮城主元祖成宗より長門守成助迄代々を祀り申し候
とある、一宮氏 小笠原一族を祀る若宮神社が鎮座しており、この一宮から見渡せる範囲で五柱の神々が阿波を守護するように配置されたのではないかと考えてみました。(長曽我部侵攻の際に慌てて分祀された可能性もある)
ちなみに目の前の気延山には天石門別八倉比賣神社が…
もう少し一宮城内 鎮守五神を詳しく調べる必要がでてきました。
蜂須賀が徳島城に入城した際には一宮城内、城付近の寺社を根こそぎ徳島城周辺に移動させていますから、それらが混同してどこからが発端であるのかわからなくなっています。これは蜂須賀が大宜都比売命をはじめ、記紀に記される神々の守護を自らが独占するために阿波の古社を隠蔽工作したためでしょう。
こちらは寄明神をはじめ、一宮城内鎮守五社を調査すればさらに新しい発見が見つかるかもしれませんね。