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awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

山津波(木屋平村 剣山龍光寺)

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昭和51年(1976)、台風17号が停滞して豪雨をもたらし、木屋平村の富士ノ池、谷の両側山腹の地滑りが著しく山津波となって垢離取川になだれ込みました。
 
斜面が崩壊することによって河川が堰き止められて湖ができることにより発生し、水がたまり続けて限界を超えると堰が耐えられなくなり、堰き止められた水や土砂が一気に下流を襲う。
流れてきたものが土砂の割合が多ければ山津波(土石流)、水分の割合が多ければ鉄砲水と区別される。
 
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美馬市 木屋平はもともとは麻植郡木屋平村。剣山講の人々に山瀬-木屋平-垢離取-富士ノ池を結ぶ剣山本街道として重視された場所。
 
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現在剣山に祀られている御神体は谷口にある剣山龍光寺にもともとは鎮座しており、剣山龍光寺が本部であり、富士之池本坊は別当であったということです。(神仏分離令の前は剣山本宮、大剱神社も別当であった)
私の考えるところでは本来は剣山に鎮座していた御神体が麓におろされ、近世に本来の形態に戻されただけだと思います。
 
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谷口の剣山龍光寺の本尊は阿弥陀如来、富士之池本坊は剱大権現。
驚くことに剣山龍光寺の由緒は古く、709年に行基による開基、珠當山長福寺を建立。814年に弘法大師がここに密法を開祖。1715年に龍光寺に改名したことが入口の石柱の裏に刻まれています。
 
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また、真の四国八十八箇所奥の院は剣山龍光寺だということであります。
 
この場所でも行基空海が絡んでいます。
何の理由もなく、ただこの地を訪ねたとは考えられません。目的は剣山の遺跡の確認と御神体の保護でしょう。そのために剣山龍光寺と富士乃池本坊も造られたのでしょうね。
 
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剣山修験の「表参道」と呼ばれる木屋平村の「富士之池本坊」の霊場と行場、穴吹川本流と富士ノ池谷の合流点付近に位置する修験霊場には、過去に「垢離掻川」、「行者」、「倶利伽羅不動」・「瀬戸不動」が存在していていたのですが、1976年の山腹崩壊の大災害により、これらの霊場景観は破壊されて不動尊像1体が残るのみであります。
 
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1976年の山津波さえ発生しなければ、古事記や日本書記に記された神代の昔よりさらに昔の遺跡(天皇のルーツ)が残された可能性があります。本当に残念なことです。
 
次回も木屋平編、続きます。