awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

流れの宮(雨戸明神)

今回のテーマは流れ宮。
 
(流れ宮とは水害で社殿や御神体が流され、留まった場所に移転、または分社とされた経緯がある神社を(勝手に私が)呼んだもの)
 
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その例としてあげる今回の神社は美馬郡 式内社 天椅立神社に比定される「雨戸(アマド)明神」、現在の神社名は「天戸(アマド)八坂神社」。

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祭神は高皇産霊(タカミムスビ)神、豊磐間戸(トヨイワマト)神、素戔嗚神スサノオ)、櫛磐間戸(クシイワマト)神となります。創祀年代や由緒は不明。
 
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この神社の近くに吉野川の支流が流れているのですが、小川谷の上流から雨戸に乗って御神体が流れ着いたことで、「雨戸明神」と呼ばれるようになりました。
 
その後に「雨戸」が「天戸」に変化し、式内社 天椅立神社の論社に挙げられるようになったそうです。
(なんといういいかげんな理由=3 確かに現在の天椅立神社のすぐ近くに鎮座していますが… 笑)
 
 
阿波は四国三郎で有名な吉野川、南部の那珂川を主流とし、東西南北にのびる支流が蜘蛛の巣のように張り巡らされています。
 
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そのために太古より洪水被害に悩まされ続けていた歴史があります。しかし、その反面で洪水により肥妖な土地を得ることができ、栄養価の高い農産物を作ることが可能となっていたのでした。
 
これが阿波は食の国「大宜都比売命」と呼ばれた一つの理由ではないかと。
 
(この解釈から考えると肥妖な土地を大宜都比売命とすると、大宜都比売命を殺す神、素戔嗚神(記)は洪水そのものを指し、月読尊(紀)は潮の満ち引き、暦、時間を司る神であるので、洪水が訪れる時期やタイミングのことを指していると考えてみたり… )
 
はい。このような「流れ宮」は阿波ではたくさん伝承や記録に残されており、如何に洪水被害が大規模で頻繁に発生していたのか現在でも手にとるようにわかるのであります。
 
 
例えばこの「雨戸明神」の他にも…
 
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⚫︎武布都神社(阿波郡市場町)→斎神社(麻植郡鴨島町):建御雷神
 
 
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⚫︎宇佐八幡神社名西郡神山町)→天佐自能和氣神社(名東郡 不動町):高皇産霊神
 
 
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⚫︎椎ノ宮神社(板野郡上板町)→桜間神社(名西郡石井町)→椎ノ宮神社(名東郡)→椎ノ宮神社(佐古町):木花咲耶比売
 
 
まぁ… 挙げだしたらキリがないのですけれども。(笑)
このように神様によっては、ゆっくり時間をかけて移動し続けていたのであります。
 
 
さて、流れ宮のように移遷先が変わったり、分祀されると後年に生まれる問題が出てくるのです。それは…
 

「元社」の選定!!

 
小さい祠や村社レベルであると、特に揉める必要はないのでしょうが、式内社レベルになるとそうはいきません。
 
式内社となると広大な社領を許され、中枢にあげる上納金の多くが免除されるうえに寄付も多額。
 
関係が薄い神社も元社不明となっている式内社に我こそはと手を挙げだしたのであります。
 
例えば式内◯◯神社では、論社の神主が他の論社の証拠の品の廃棄や、社殿を放火した事例も。∑(゚Д゚)
また、それを自らの利権のために見て見ぬふりをした徳島藩…(例の式内社が確定してしまえば徳島藩の領地と年貢が減るため)
 
このように絡みに絡みにきった「元社」を、現在は地元有志の古代史研究家が調査し、ワンピースずつですがパズルを埋めていっております。
 
邪馬壹国論争や天皇発祥地論も謂わば「流れの宮」(と同じ)ですね。
 
まだまだ決着には時間がかかりそうです。