awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

妙見菩薩となった天津甕星(阿南市 立江寺奥の院 取星寺)

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羽ノ浦村大字岩脇にあり立江寺奥の院稱す、延暦弘法大師惡星欀除の爲虚空持の秘宝を修し、大地に落ちたる惡星を當山に修め(什寳として珍襲す)、五大虚空蔵菩薩妙見菩薩の二尊像を彫り、一宇を建立せらる、これ取星寺の權興なり、至徳年中讃州虚空蔵院より增吽大僧都來りて、錫を駐む、時の帝後小松院不豫の御事あり、僧都に命じて星供の秘法を修せしめしに、効験忽ち現はれしかば叡感斜めならず、乃ち僧正に任じて紫衣と水晶の念珠を賜ふ、僧正修禅の暇に乗じて大般若経を書し、一宇一石の塚を山頂に建つ、即ち経塚これなり、名にし負へる新四國は奇岩怪石を以て蔽はれたる山嶺を繞りて設けられ、加ふるに四望限界を遮るものなく、那賀川帶の如く山下をめぐり、那賀郡の大平野を貫きて流る、此風致に加ふるに楓櫻数百本を栽植し、一大公園を設けて登覧者を招致するの計画あり、阿南鐵道古庄停車場を距る約廿町、婦女と雖登攀に難からず。
 
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 はい。立江寺奥の院、取星寺でございます。ここにも弘法大師の伝説が伝えられております。
 
お大師さんが三栗へ着いて、しばらくはここにおられたが、そのとき人や動物、農作物にいたずらする悪い星が天にいるのを見付けられた。大師はさっそくこの星をにらみ落とした。
この星は、那賀川沿いを西へ西へ走って逃げ出したが、お大師さんはつかまえようと追いかけた。ところが逃げ足の早い星をなかなかつかまえることができなかった。
やっと星取寺のあたりで追いついたが、悪い星をつかまえるには大師はあまりにも疲れており、無理をして自分の体をおどらせて悪い星に噛みついたそうである。
大師が、やっとのことで悪い星に噛みつき人や動物、農作物に悪さをする星をやっつけることができた。
ところが大師が星に噛みついたとき、この星は酸っぱかったそうで阿波の方言で、酸っぱいことを「すいい」というが、そこで、ここに建てた寺を「すいしょうじ」と名付けたそうである。そのことから近くのものは、取星寺を「すいしょうじ」と呼び、お参りしている訳である。
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また別の言い伝えで悪い星は星ではなくて、本当は悪党であった。大師が悪党を退治してから、村のものは安楽に暮らせるようになったとも伝わっている。
取星寺も時がたつにつれて荒れ果て、讃岐の与田寺から増吽上人という偉いお坊さんがやってきて、りっぱに建て直したそうである。今では寺のあたりは公園となり、桜の名所としてよく知られている。
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現在の岩脇公園ですね。さっそく行ってみました。
僧正 増吽が大般若経を埋めたと云われる経塚は梅壇観音が鎮座している場所。
 
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経塚跡の近くには取星寺の奥の院三宝荒神があり、この場所は引用した文献に記されているように奇岩や怪石が敷き詰められています。新四国霊場を建立した際に手を加えて岩屋を造成したとありますが、もともと存在していた岩屋のように見えます。
 
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どうも取星寺の奥の院である三宝荒神、巨石群の下にある取星寺、星三宝荒大神、明現神社、虚空蔵菩薩を祀る社の配置がなんとも妙な配置なのであります。
 
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明らかに巨石群を主として山全体で祭祀され、何らかの結界みたいにみえる北斗七星のオブジェ、これらは明らかに古代祭祀の影響を受けており、まつろわぬ神を祭祀している形跡であると考えました。
 
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そこでひとつの神が頭の中に浮かびました。

その神こそ星神香香背男(ほしのかがせお)またの名を天津甕星(あまつみかぼし)という神であります。

紀神代九段(本文 文注) 一に云はく、二の神、遂に邪神および草木石の類い を誅ひて、皆すでに平けぬ。その不服はぬ者は、唯、星の神香香背男のみ。故、 また倭文神建葉槌命を遣わせば服ひぬ。
紀神代第九段(一書第二) 一書に曰く、天神、経津主神・武瓶槌神を遣して、 葦原中国を平定めしむ。時に二の神曰さく、「天に悪しき神有り。名を天津甕 星と曰ふ。またの名は天香香背男。請ふ、先づ此の神を誅ひて、然して後に下 りて葦原中国を発はむ」とまうす。
古事記」には登場せず、「日本書紀」の葦原中國平定にのみ登場する。
経津主神武甕槌命は不順(まつろ)わぬ鬼神等をことごとく平定し、草木や石までも平らげたが、星の神の香香背男だけは服従しなかったので、倭文神(しとりがみ) 建葉槌命(たけはづち)を遣わし懐柔したとしている。
第二の一書では天津神となっており、経津主神武甕槌命が、まず高天原にいる天香香背男、別名を天津甕星という悪い神を誅してから葦原中國平定を行うと言っている。
葦原中国平定に最後まで抵抗した神ということで建御名方神と同一神とされることもあり、また、神仏習合の発想では北極星を神格化した妙見菩薩の化身とされることもある。
 
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あくまで私の想像の域を超えませんが、取星寺は星神香香背男(ほしのかがせお)=天津甕星(あまつみかぼし)を今尚祭祀している…(可能性あり)
 
今日までノーマークでしたがこの取星寺。阿波古代史を調査するうえで要チェックの場所だと思います。
阿波説では葦原中つ国のど真ん中、古代から屯倉などが存在した羽ノ浦と阿南をまたぐ星と巨石信仰が残る山塊。
長國の古い文献をさらに調査すれば何らかの手がかりや新たな発見があるかもしれません。
これもまた新しい情報を入手したら追記したいと思います。