awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

太龍寺の不思議あれこれ

 
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何かと年末の行事が忙しく、二三日投稿が滞ってしまいました… 
これと言っては何ですが、昔の文献から太龍寺の怪異を記した内容を入力してみましたのでご覧下さい。
舎心山 太龍寺は那賀郡加茂。扨其の後空海唐土天竺に渡り法を伝て帰朝有り、大師未だ高野山を開かざる前には此の山を本とし高野山の如に成さんとし給へども、山上狭小なりとて彼の高野山を開く、然れども唐竺より伝来の錫杖其の外宝物種々仏像並に大師の書し給ふ紺紙金字の法華経八巻。
大師自造し給ふ諸品を此の山に納むる事多し、又龍宮より捧げしといふ龍の駒(駒の大さ尺に満たず色黒赤し、竺金の類にて造るが如し)あり、此の駒は類無き事にて甚霊ありと、牛馬此の山に登る事能はず計らず登れば大に怪異有となり、又此の山上へ魚鳥などの肉を携へ上がればこれ又怪有り、或は大に祟をなす其の余の霊異多しといへども枚挙し難し、
扨開山の時より凡二百数十年を経て一旦此の山の破壊におよびけるに白河帝の御宇に帝久しく御悩あり修験者是を勘考し奏しけるは南方に当て霊地破壊に及べる有り、これを修造建立し給はば其の験有べしと、依て此の山修造の事を東寺の長範僧正に勅して諸工匠を具して下り、堂塔寺院を造立し彼の僧正を以て住侶とす、寺領若干の地寄給ひ勅願所とす、
且又求問持堂有り大師の三教指帰に求問持を修する処日本三所の第一とす、高野の僧徒も此の山の求問を修する多し、又本堂の奥に小池有り所以ある池なりと、此の水の色赤く或は黒くなれば天下国家の災変有りと云伝ふ、近年も濁りし事ありとなり、此の山へ除夜には龍燈必杉の梢に至る事はむかしより今に違ふ事なし、天正の比迄は龍燈杉。
弥仙に有て山中第一の大木なりしに、天正十六七年比に至りて豊臣関白秀吉公洛東に大仏殿を造立し給ふに棟木と為すべき材を撰むに此の太龍寺弥仙の大杉に及ぶ事無しとて国公(家政公の御時)に命じ給ひしかば、則数千の人役を以て是を伐らしめて山を下し、竟に海浜に出だし大船七艘にて此の材を漕がしめしに、紀淡の間なる御石の崎辺にて暴に大風雨起て彼の良材並に船も人も皆南海に流れしにや行方を知らず失ひけるとなり、其の後間もなく舎心山甚騒しく震動し堂塔寺院残らず炎上す、
これによつて国公は山上に参籠し給ふ事十七日にて此の般の龍燈杉伐らしめ給ひしは、京師の台命の事故是非なき次第を演べ給ひ、諸伽藍不日に再建為し玉ふべしと念願し給ひ、元の如く造立し給ひしかば山上隠に成りしとなり、以前の本坊は今の塔の建たる所なりしかど今の本坊の地に下し移せるなり、
又彼の大杉の伐株二三間四方も有べし、其の蟠根を穿ち割て香木となす、扨其の後の燈明杉は本堂の傍に有り、廻り五抱ばかりにみゆ、又其の辺に大師行法の時節榧の木を瓶に生けしを此の地に指て置給ひしに大木と成りしなりと云伝ふ、
且此の山中の杉柏の大木の森々たる事其の類稀なり、又子院七箇有り甚眺望よき寺有り、日出の時雲晴れば日輪海上に浮みて竪丸長なり是亦一奇観なるべし、扨此の山鎮守の神は鷲敷村の蛭子大明神甚ふるき宮居なり、又奥院は黒滝寺とて仁宇谷長山の奥に有り、太龍寺より六七里を隔つるあり
 
あー、入力疲れた…  (T_T)
 
冒頭の引用文を読んでみると、各所に重要な内容が含まれているんです。(太文字の箇所ね)
 
以前にちょっとだけ書いたのですが、「太龍寺」はとても重要な場所。
 
「秀真の国」は「阿波国」と断言している伝承が残っていたり…
 
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「在々処々是くの如し、その阿波国 那賀郡舎心山太龍寺に及ぶ。天神七代の内、六世、面足尊、惶根尊降り磯輪上に居坐す秀真国これなり。当七代伊弉諾尊伊弉冉尊居坐に降る玉墟うち国産み八嶋あり。まず淡路州を生む、これを淡道穂狭別という」(太龍寺縁起より)
 

そして太龍寺山に神武天皇行幸があったとの記載も。
 
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太龍寺 南舎心嶽前の神武天皇祠)
「往昔、神武天皇狭野尊、筑紫日向宮崎宮より大和国御坐入りの時、五月十六日舎心山、行幸あり、舎心の峰の明星、御影向石に通じ夜上に向き明星に礼し給う」(太龍寺縁起より)
 
さらにこの太龍寺の鎮守は「蛭子大明神」。
 
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まぁ、ここらへんの事は他のブロガーさん達も書いていることですからご存知の方もいらっしゃると思います。
なのでちょっとだけ別の内容も書いておきましょうか。(投稿をさぼったのもあるし… 苦笑)

「蛭子」は何者? - awa-otoko’s blog

 

 
太龍寺」に対して鬼門封じを行っている(いた)神社があるのをご存知でしょうか。
その名も…
 

「鬼門神社」。

 
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そして裏鬼門を固めているのが
 

「蛭子大明神(神社)」

 

ここまで鬼門封じを行わないといけない理由は何なのでしょう。
 
鬼門封じだけでなく、風水陰陽道からみても各方角、立地条件でも太龍寺を軸にしていることは明らか。
 
これは「秀真国(ホツマノクニ)」「磯上乃古事記(イソノカミノフルコトフミ)」が鍵になっているのかもしれません。
あと「秀真伝(ホツマツタエ)」もね。

太龍寺窟へご案内 - awa-otoko’s blog