茶の神(茶神八幡神社)
上勝町 旭は「神田茶(じでんちゃ)の里」
脇道を上ると畑や石垣のすき間、山の急斜面から茶の木が見え、収穫時期には茶の香りが漂います。
千年の昔から祭祀された「茶神」を祀るのは日本で当地一社のみでしょう。
その「茶神八幡神社」は岩陰遺跡そのものが神社とされており、岩窟内に御祭神と摂社が祀られております。
その岩陰遺跡周辺を発掘すれば阿波に発酵茶をもたらした人々の遺物が見つかる可能性が高いと云われています。(バチ当たりかもしれませんが… )
平安時代末期、横尾権守は主君である平清盛を熱病から回復させるために清盛の家臣が妙薬を探しに中国大陸に渡りました。その妙薬とは晩茶の製法。
しかし晩茶の製法を中国で学び、帰国した時には既に清盛は熱病で病死しており、平氏は壇の浦の戦いで源氏に敗れていたのでした。
平家の落人となった横尾権守は四国に落ち、徳島県日和佐から山に入り地田(じでん)の岩屋で休んでいた時に偶然にもお茶の木を見つけ、そこで中国で学んだ晩茶の製法を地域に伝えたのが「阿波晩茶」なのです。
その他にも戦いの際に湯漬けを食して出陣した武将たちの勢いづけや、腹ごしらえの茶漬けの由来から戦いの神様としても奉祀されたのが「茶神八幡神社」なのです。
古来より不老長寿仙人の妙薬とも云われる「阿波晩茶」の秘伝製法は上勝町旭から広く伝播して、今も受け継がれているのです。