全国唯一。藍の神様 (佐那河内村 猿田彦大神)

(藍神様)
阿波の佐那の縣(佐那河内村)に全部唯一藍の神様を祀る社があります。
(佐那河内村 大宮神社)

(大宮神社境内碑)
佐那県に山主という父母に孝行する者がいて、嵯峨山の杖立で薪を刈っていると猿田彦大神に声をかけられ、そこで藍染めを教えられた。
山主は教えの通り藍染めを行うと家業は日々に栄え佐那の長者となった。(佐那河内村誌より)
その故事により「大宮神社」に祀られた「猿田彦大神」は「藍神様」と呼ばれるようになりました。
一般的には阿波藍の起源とされているのは平安時代。阿波の山岳地帯で阿波忌部(いんべ)氏が織った荒妙(あらたえ)という布を染めるために栽培が始まったと伝えられています。
後の天正年間、蜂須賀家政公が藩主となってからは藍の生産を奨励。藍づくりはさらに隆盛を極め、阿波の藍は品質の高さからも他の藍と別格扱いされました。市場では阿波の藍を「本藍」、他の地方の藍を「地藍」と区別されたほどです。

(阿波名所図絵 藍玉より)
特に10代藩主蜂須賀重喜の時代では徳島の藍商人は全国の市場をほぼ独占するに至り、藍商人より上納される運上銀や冥加銀は藩財政の有力な財源となりました。
領石高は25万石でしたが実際には阿波商人が藍、たばこ、塩などで得た利益を合算すると四十数万石であったと云われいます。
このような理由からでしょうか。

(大麻比古神社の大鳥居)
中世以降、蜂須賀が動いたというより阿波の藍商人の崇敬が強く他の神と習合しながら他の地域に伝播していったという考え方もできます。
追記。
こちらについてはまた近いうちに書きたいと思います。