高天原を考える(その3.大日孁命)
一回目に勿体ぶった割にはシリーズを連続でお届けしております。
鮎喰川流域も皇祖(天照大御神)の聖地であり、また高天原であることを立証するためには式内大社の天石門別八倉比売神社の祭神が大日孁命(卑弥呼:天照大御神)であり、鎮座地の矢野神山が大日孁命の神陵(葬場)であることを考証する必要があります。
◼︎埴生女屋神社(はにゅうめやじんじゃ)
埴生女屋神社の祭神が大宜都比売命であるかは不明。
◼︎船盡比咩神社(ふなつきひめじんじゃ)
鮎喰川の川幅が狭くなった古代の岐(ふなと)跡に祀られた神社。
◼︎麻能等比古神社(まのとひこじんじゃ)
「阿波誌」では「麻能等(まのと)」は「水門(みなと)」也とし、水門の神である速秋津比古命。「天ノ門(あまのと)」の彦(大人)の「あ」が落ちて「まのとひこ」になったと考えられている。
◼︎天石門別八倉比売神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)
◼︎大御和神社(おおみわじんじゃ)
◼︎和多都美豊玉比賣神社(わたつみとよたまひめじんじゃ)
豊玉比売が夫である日子穂々出見命(ひこほほでみ)と出会った和多都美宮跡。
◼︎天佐自能和氣神社(あまのさじのわけじんじゃ)
◼︎天石門別豊玉比売神社(あまのいわとわけとよたまひめじんじゃ)
以上の社から考えると高天原と豊葦原中つ国との境は「船盡比咩神社」「麻能等比古神社」の鎮座する入田町天ノ原と国府町矢野付近。
つまり鮎喰川上流域から、神山町神領高根が高天原(卑弥呼の宮居)、入田町天ノ原が高天原の外苑部、国府町矢野神山が卑弥呼(天照大御神)の神陵、矢野神山の麓一帯(平野部)が邪馬壹国の首都、その下流域の旧井ノ上(いのへ)郷周辺が和多都美宮、天孫の生誕地と比定ができます。
各エリアの遺跡発掘状況も詳しく入力したいところですが、なかなか膨大な量ですから今回はここまで。
写真も地図もないので地理的部分は他県の方にはいまいちピンとこないかもしれませんね。
すんません。
次回は須佐之男命で書こうと思っています。簡単にですけどね。(^^)