awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

高天原を考える(その4.須佐之男命)


前回では大日孁命(卑弥呼: 天照大御神)関連から高天原の領域について触れました。
今回は須佐之男命(すさのおのみこと)で進めます。
とは言うものの、前置きが長くてなかなか須佐之男命の名が出てきませんが、どうか気長く読んでみて下さいませw(笑)


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さて、「魏志倭人伝」で記されている「倭国乱、相攻伐歴年」とは、吉野川流域の山上農耕部族と阿波沿岸(鮎喰川流域部族も含む)で活動した海人族との戦いのこと。

この内乱を国内文献で探れば阿波国内を舞台にしたことがわかり、記紀神話で海人族である伊邪那岐命(いざなぎ)が、山岳農耕民族である伊邪那美命(いざなみ)の葬場を暴いたために伊邪那美命の軍団に追われ、ついには伊邪那岐命は淡路島に追放され、その生涯を閉じます。

その後に鮎喰川流域部族より女王に擁立されたのが卑弥呼。(大宜都比売命or天照大御神or大日孁命)
卑弥呼は海人族との関係を深め、中国との交易や列島諸国への影響力を高めていきます。

そして「魏志倭人伝」に「鬼道に事(つか)え、能(よ)く衆を惑わす。」とあるように阿波(邪馬壹国)国内では鬼道(呪い)によって人の心を掴んでいたのでしょう。

さらに魏志倭人伝では卑弥呼の死後に
「更に男王を立てしも、国中服せず。更々(こもごも)相誅殺し、當時千余人を殺す。複た卑弥呼の宗女壹与年十三なるを立てて王と為し、国中遂に定まる。」
とあり、ここでも女王の擁立前に内乱が起こっています。

はい。この事件は記紀神話の国譲りの一端して考えればすんなりと収まりがつくのです。

卑弥呼の死後に立てた男王は「須佐之男命」。


須佐之男命は海を統べた海人族であり、神話には天照大御神の田や機屋を荒らし、ついには天照大御神の岩屋隠れとなります。(天照大御神の岩屋隠れは卑弥呼の死と捉えます)
そして須佐之男命は罪の代償として罰を科され、伊邪那岐命と全く同じように高天原から追放されてしまいます。

この内容が明らかに表れているのが、阿波国式内社五十座での定められ方。
伊邪那岐命伊邪那美命が産み落とした神々や伊邪那美命阿波国に定められているにもかかわらず、伊邪那岐命は外され、須佐之男命も同じように外されています。

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須佐之男命眉山に鎮座する溶造皇神社で祀られ、眉山山頂西峰に八人塚古墳が神陵と伝えられています。また式内社には定められていないものの「牛頭天王」、「吹越大明神」など神名を変え、主に「八坂神社」や「祇園社、天王社」として阿波国内で祀られる数は非常に多いです。)

その後、卑弥呼の宗女である壹与が女王に立てられて国中が安定しますが、この女王が記紀神話で天孫 日子穂々出見命(ひこほほでみ)と結婚する海神(和多都美神)の娘であり豊玉比売命にあたります。(天の岩戸から出てきた天照大御神はこの壹与:豊玉比売命を指している)

その豊玉比売命も出産を見られたことで逃げ帰りますが、これは卑弥呼同様に夫壻の無い女王であり、魏志倭人伝の内容とも一致するのであります。

つまり伊邪那美命卑弥呼、壹与は女王擁立後の条件が一致していることから、称して「天照大御神」と呼ばれた可能性は大いにあること。


同じように伊邪那岐卑弥呼のあとに立った男王、日子穂々出見命も総じて「須佐之男命」と呼ばれた可能性もあるということです。

(前記にある天照大御神の岩屋隠れの話では悪人として描かれいるが、八岐大蛇退治の話では完全な英雄として描かれている。これは時代と人物に違いがあるのではないか)


さらにまとめますと、現在では天津神国津神総じて「天神地祇」とされていますが、この中に混じる役職名も神として存在しているために記紀神話との確証の際に時系列にズレが生じる訳です。
この複雑なパズルを解く鍵は「古風土記」と「古社の祭神」、「古地名」を記紀神話の条件に当てはめること。
これは阿波国しか一致しないであろうと私は考えています。



えー、、、なんか自分の書きたいことだけ書きまくったあげく、また間違いも含まれているかもしれませんが、今回をもって「本当の高天原」シリーズは完結。

次回からまたばらばらのテーマで転がしますのでよろしくどうぞ。^ ^