空位の神社(阿波神社)
鳴門市大麻町池谷に鎮座しております「阿波神社」です。
まずは阿波神社の略記などご覧くださいませ。
【阿波神社 略記】
阿波神社は、第83代 土御門天皇を御祭神として奉祀致しております。
土御門天皇は、第82代 後鳥羽天皇の第1皇子(御諱為仁親玉)として、 建久6年12月2日(1195年)御生誕、建久9年3月3日4歳で御即位、元久2年1月3日(1205年)11歳で元服されました。
承元4年11月25日(1210年)16歳のとき、後鳥羽上皇の御意志により、御即位13年で、第3皇子守成親玉(第84代順徳天皇)に御譲位されました。
承久の乱[承久3年(1221年)]により後鳥羽上皇は隠岐へ、順徳天皇は佐渡へ流されたため、土御門上皇のみ都にとどまることを由とせず、自らご希望により 同年10月土佐の畑にご遷幸されました。
土佐にご在留中、北条氏は、度々御帰京をすすめられましたが応じられない為、せめて少しでも京都に近い所として、貞応2年5月27日(1223年)土佐ご駐留約1年半後、阿波にご遷幸、約9年間御滞在されましたが、寛喜3年10月11日(1231年)、37歳で当地におきまして崩御され、御火葬されました。
上皇は大変温和であり、温情が深く、争いごとは好まれず、人の喜び、悲しみ等は、良く理解されるご性格でありました。
また、和歌には造詣が深く、藤原家隆や定家を師と仰ぎ、その歌風は流麗な新古今風であり、家隆の歌調であると云われております。
本県におきましては、上皇の御懿徳を顕揚し、かつ御心霊を慰め奉るため神祗院の指導の下、県社寺課の設計監督により皇紀2600年記念事業として全県民の浄財と勤労奉仕 約7万名により、社殿の規模狭小であった丸山神社を廃し、阿波神社と改称して、昭和18年10月に竣工しました。
ちょっとミステリーです。
元ネタは以前にもご紹介した阿波古代史のバイブルと言える「道は阿波より始まる」にある記載からです。
阿波神社なる宮は眞に不思議な神社なのです。昭和十六年に我国が大戦に突入するや当時の内務省より徳島県に通達があり板野郡池谷丸山に建設される事になりました。
この地は東の宇志比古神社と古代に磯長乃大陵とよばれたという大古墳にはさまれた地域なのですが、竣工されたのがこの大戦が敗戦に終わった後の事で、まさに云う「後の祭り」と申しましょうか何をまつる為に内務省が命を出したのかもわからず神座空位の社殿として現在に至っていました。
今おもえば昭和天皇の意があったと思われる最後の神社です。恐らくは昭和天皇の御意思で故国阿波の神々に邦国祈願される為の新造神社だったのでしょう。
はい。何を隠そう私もこの内容を疑っておりました。やっぱり疑ったら実際に確認しに行きたくなるじゃないですか…
行きました。(笑)
まず、私のような神社をたくさん参拝している(変)人には理解頂けると思うんですが、神社自体の雰囲気というか、神気というか何らかの気配みたいものを感じる訳なんです。
でも阿波神社は何も感じないんです。スカスカなんです…。
境内も広く、社殿も厳かで有名な神宮クラスの規模なんですが「無」なんです。(感覚でいえば禅や能楽などの静寂に繋がるような… )
たぶん、空位のままなんでしょう。
実は引用した「道は阿波より始まる」の文には続きがあります。
ちょっとお話の内容が変わってくるので、引用を差し控えようと思っていましたが、繋がらないのでざっくりと書きますと…
「太古の昔より神事の秘法を受け継ぐ阿波人が、昭和天皇裕仁命の大喪の礼が滞りなくとり行われた時点で「倭神道の秘事」により魂ふりの法をもって阿波神社の御魂として入魂する」
と書いております。
だから、この内容知っている人は阿波神社では「昭和天皇」が祀られていると噂するんですね。
しかし私は何らかの事情があって魂ふりは行われてないと考えています。
まぁ世の中白黒はっきりさせなくても良いものがあると思うんです。
今回は阿波にはこんな神社もあるんですよ。という内容を伝えたかったんです。
でも、こんな事を書いたら気になる方は気になって仕方ないでしょうね。
どーしても気になる方は実際に参拝して「阿波神社」の雰囲気を確かめてみて下さい。
その折は阿波神社だけではなく、近隣の寺社も訪ねるのがオススメ。かなり歴史が古くて散策が楽しめます。
大麻町は寺社仏閣好きにオススメですよ。