awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

令和元年霊峰剣山山頂大祭(劔和讃(つるぎわさん)を読め!)

f:id:awa-otoko:20190723205056j:image

実は先月に剣山大祭に参加していたawa-otokoです。だらだら記事を書いていたら一か月が経過してしまいましたw(遅っ!!しかも今回は記念すべき400回目投稿という… 何たる怠慢。)ということで、8月に剣山大祭があった訳ではないので当記事をお読みの方はご注意いただきたくお願いします。

それでは本題へ。。。

今年も剣山大祭に参加するべく剣山山頂へ登って参りましたが、、、当日山頂の天候は大荒れに荒れてこの祭りのメインと言っても過言ではない神輿渡御が中止となってしまいました。神事も宝蔵石神社前とヒュッテの中で行われるというawa-otoko的に物足らないもの。(悪天候故に参加者(担ぎ手)も少なく、熊笹が濡れて急坂を神輿が上がれないと判断したのでしょう。無理に敢行して怪我人でも出てしまったら大変。神輿渡御の中止は適切な判断だったと思います。)

f:id:awa-otoko:20190723205237j:image

ということで、、、その時はテンションダダ下がりで神事やその他の行事も撮影しませんでした。したがって臨場感溢れる祭りの写真も殆どなく、、、そんな状況であるのになぜか(めずらしく気が向いて☆キラキラ☆)ブログ更新に着手してしまい、苦し紛れに開けたのは「改訂木屋平村史」。その中に丁度いい前振り記事を見つけたので引用させて頂きます。

主祭神:素戔嗚命安徳天皇

元暦二年(1185)平家没落当時、平家の家人田口左衛門尉成直は父の阿波国主紀民部成良と計り、安徳天皇をはじめその余の人々を壇ノ浦から伊予大三島に迎え、平国盛が供奉して大三島から山路伝いに祖谷山に行幸し給い、ついで文治元年(同年改元木屋平村に遷幸し給うたと伝える。その後、祖谷山・木屋平二村の平家遺臣の子孫らが計り、富士ノ池を仮行在所とし、平家の再興を祈って寶蔵石に安徳天皇の佩の剣を納めて祭祀した。これが剣山大権現の呼称の由来とされ、以降この山を剣山と称するようになったという。

なお、剣山は海抜一九五五㍍で石槌山につぐ四国第二の霊山で、太古から人々の信仰の対象とされていた。仏教の伝来とともに修験道霊場となり、南北朝時代阿波山岳武士の本拠地となった龍光寺は、大同三年(808)僧行基の開基とされる。例年七月十四日から夏祭りが執行され、白装束に身を固めた信者たちによって国家安泰、家内安全を祈り大護摩の行事も行われる。十六日の神輿渡御は山伏姿の信者たちが大勢参加し荘厳をきわめる。

以上、目を通してみれば昭和五十七年七月から剣山頂上の寶蔵石神社に合祀された剣山本宮について由緒が記載されているのですが、今ひとつ突っ込みが甘いと感じるのは私だけでしょうか。(なぜ安徳天皇を匿うために頼った麻植氏(忌部)について掘り下げないのか、また空海が四国鎮守総奥之院として富士の池 龍光寺を選んだことにも言及しないのか。他の項目では記載されているのに。)

上記引用の記事だけでは全国各地に残る安徳天皇伝説のひとつとして剣山もスルーされてしまうのも致し方ないことでしょう。残念です。

f:id:awa-otoko:20190723205303j:image

剣山大祭は900年前から(一部で細々と)継承されきた忌部と安徳天皇(平家)を中心としたお祭りです。(あと古より祭祀されているスサノオも忘れちゃいけません。)

実は剣山の信仰登山が浸透したのは比較的に新しく、明治期に龍光寺が中心となって活動したものです。その龍光寺が剣山をPRした【劔和讃(つるぎわさん)というものがございまして、これが読んでみるとなかなか唸る内容なのです。せっかくなので全文を紹介してしまいましょう!!(久しぶりに入力するのがしんどかったゼ。。。)

【劔和讃(つるぎわさん)】

帰命頂礼劔山  其濫觴を尋ぬれば

南海道の阿波の国  無二の霊山霊峰ハ

元石立の山なるぞ  昔時行者の御開山

秋は弘仁六年の  六月中の七日なる

空海大師此峯に  登りて秘宝を修し玉ふ

眼を閉て祈りなん  神と仏と御出現

殊に倶利伽羅大聖ハ  大篠劔の御本地と

愛染王ハ古劔乃  御本地仏と仰ぐなり

されハ秘密の其中に  劔すなはち大聖尊

此時空海石立の  山を劔と呼びたまふ

一字一石法華経の  塚ハ大師の古跡なり

山上山下の障難を  除きたまへる事ぞかし

古劔谷の諸行場ハ  役行者の跡そかし

中にも苔の厳窟にハ  大山大聖不動尊

本地倶利伽羅大聖ハ  無二同躰の尊ときく

衆生の願ひある時ハ  童子の姿に身をやつし

又ハ異形にあらハれて  生々世々の御ちかひ

あら尊しや御劔の  神や仏を仰ぎなば

五日も七日も精進し  垢離取川に身漱して

運ぶ案内富士の池  三匝行道する行者

合掌懺悔礼拝し  御山に登る先達ハ

新客行者を誘ひてや  八十五町を歩きつつ

右と左に絵符と数珠  唱る真言経陀羅尼

此の御劔の山なるハ  大聖尊の三昩池ぞ

踏しあさゆる爛漫の  梵字即ち大聖尊

壱度拝山拝堂を  いたす行者の身ハ影の

形ハいつも離るらん  悪事災難病難を

祓ひおさむる御宝劔  六根六色備るを

唯真心のひとつなり  深く仰て信ずべし

この内容やばいっしょ。(分からない人用にヒントを書いておきます。なんて優しいawa-otoko!!但しヒントはawa-otokoの独自の解釈ですから取り扱いに注意ね。)

空海大師此峯に登りて秘宝を修し玉ふ  眼を閉て祈りなん  神と仏と御出現空海が神と仏を混ぜた?

倶利伽羅大聖は大篠が御本地 : 倶利伽羅大聖とは不動明王スサノオ)のこと。大篠は剣山頂上付近を指す。

愛染王ハ古劔乃御本地仏と仰ぐなり: 実は古劔にイザナミを祀っていたという文献がある。愛染王とはイザナミか?

苔の厳窟にハ大山大聖不動尊  本地倶利伽羅大聖ハ  無二同躰の尊ときく: 大山大聖不動尊とは大山積神のことでしょう。これが倶利伽羅大聖と同神であるということは… 

衆生の願ひある時ハ  童子の姿に身をやつし

又ハ異形にあらハれて  生々世々の御ちかひ

あら尊しや御劔の  神や仏を仰ぎなば : その他、別の神としても派生している?剣山に祭祀された神が根源である。

簡単に書けばこんな感じでしょうか。(まだまだ書きたいことはありますが大まかにはこんな感じ。)

ざっくりまとめれば、役行者空海が秘密(神)を隠した御山に安徳天皇忌部氏、親族である平家一門を連れて再興を祈ったのが剣山ということなのでしょう。

ということで、良いように言えばいろいろ裏を取っていたり(悪くいえば怠慢)していて投稿がかなり遅れてしまった今回ですが、残念ながら核心に迫らずここまで。役行者空海が秘密(神)を隠した内容についてはまたの機会にしたいと思います。(お察しの通りたぶん書きませんが。)ではまた。