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awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

この氣、何の氣?屋嶋城(やしまのき): まつろわぬ神、蓑山大明神・屋島稲荷の章

 

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前回は序章だったので屋嶋城(やしまのき)自体の説明にとどまりました。

阿波の大滝山に高安城(たかやすのき)があったが故に屋嶋城が造られたと想定した訳です。が、屋嶋城の頂上には古代より"崇敬される遺物"が存在した形跡がちらほら。

今回の投稿は、ほとんど90%位が私の仮想による内容です。

そして、いつものように題名に答えを出してしまっているけど、そんなの気にしないよ。っていう心の広い人だけ読んで下さい。(笑)

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屋島寺

寺伝によれば、律宗の開祖である鑑真天平勝宝6年(754年)に当地を訪れて開創したという。このころに古代山城の屋嶋城が閉鎖されたため、その跡地に寺院を創設したものである。なお、ここから1kmほど北の北嶺山上には屋島寺の前身とされる千間堂の遺跡がある。(Wikipediaより)

 

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鑑真和上は屋島の沖で山頂から立ちのぼる瑞光を感得され、屋島の北嶺に登った。そこに普賢堂を建てて、持参していた普賢菩薩像を安置し、経典を納めて創建されたとも伝わっています。

 屋島山頂から立ちのぼる瑞光とは何を指しているのか?

私が考えるに、屋島寺本堂向かって右側には大きな二体の狸が立っております。

山大明神」、狸の神様 でございます。

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本来なら瑞光のもとを屋島寺の本尊、千手観音菩薩に向けたいところですが、鑑真和上は瑞光をみて屋島に訪れ、屋島寺を建立にあたっているので時系列が合致しません。
私なりに色々調べてみると蓑山大明神がひじょーにあやしいのです。

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ちょっと長いですが蓑山大明神の説明です。

太三郎狸屋島寺の本尊である千手観音菩薩の御用タヌキとして善行を積んだことから、現在は「蓑山大明神」の法名で、屋島寺に土地の氏神として祭祀されている。寺には太三郎狸と、子供のタヌキに乳を与える妻の大きな石像が鎮座している。屋島寺は唐の僧である鑑真による開創と伝えられるが、伝説ではその際に盲目のために難儀する鑑真を、太三郎狸が案内したといわれる。また空海弘法大師)が四国八十八箇所霊場を開創した頃、霧の深い山中で道に迷った空海を、老人に化けた太三郎狸が案内したともいう。

鑑真空海に感銘を受けた太三郎狸は狸の徳を高めるべく、屋島に教育の場を設け、全国から集まった若いタヌキたちに勉学を施していたともいう。こうした空海などにまつわる伝説については、タヌキは野生や森、森の生物に神を見る古くからの信仰の象徴であり、そうした信仰と仏教が結びついたのであり、太三郎狸の伝説は神と仏の共存が開かれたことを示しているとの見方もある。

後に太三郎狸は猟師に撃たれて命を落とすが、死後の霊は阿波(後の徳島県)に移り棲み、人に憑くようになった。嘉永年間には阿波郡林村(現・阿波市)の髪結いの女性に憑き、吉凶を予言したり、狸憑きを落としていたといわれる。

また、江戸時代末期に起きたというタヌキたちの大戦争・阿波狸合戦の際、日開野村(後の小松島市)のタヌキが人に憑いて語ったところによれば、合戦で金長狸と六右衛門狸が相討ちとなった後、双方の2代目同士によって弔い合戦が行なわれようとしたところ、太三郎狸の仲裁によって事が収まったという。後に日清戦争日露戦争では、太三郎狸は多くの子分たちと共に満州へ出征して活躍したといい、大量のアズキの粒を兵士に変えて敵陣に向かわせ、日本軍に勝利をもたらしたともいう。(Wikipediaより)

 

さて、蓑山大明神の説明から私が不自然不思議に思う部分を以下に抽出してみました。

 

■千手観音菩薩の御用タヌキとして善行を積んだ。

(千手観音菩薩の御用タヌキって何?)

 

太三郎狸(蓑山大明神)は土地の氏神として祭祀されている。

(ケモノを土地の氏神、即ち産土神として祭祀されていることが自体がおかしい。本来はケモノではなく… )

 

太三郎狸屋島を訪れた鑑真空海を案内した。

鑑真屋島寺を創建したのは空海が古の天子古跡を巡っていた理由とリンクするのではないか。そして二人の聖人を案内した太三郎狸は… )

 

太三郎狸の死後、阿波に移り棲んで人に憑くようになった。

(なぜ阿波?阿波に所縁があったのか?)

 

以上の内容を総合し、さらに思案してみました。

太三郎狸讃岐国の総氏神である倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の系譜、さらには皇祖に繋がる神とは異なる「まつろわぬ神」そのものを。

また、その神の末裔・一族が変化したもの。ではないでしょうか?


古来より崇敬・祭祀の対象とされた古代神の形跡が屋島山頂部に存在し、それを確認するべく鑑真和上と空海は訪れたとも考えられます。
「まつろわぬ神の一族」は鑑真和上、空海における寺の創建で千手観音を祭祀しながら「何か」を護っていましたが、讃岐屋島を追われることになって阿波に移動したのではないでしょうか。個人的な仮想と妄想で、オマエが勝手に想像するなよ!と言われそうな内容ですが、古の伝承と現在残されている屋島寺、蓑山大明神の祠の配置から考え出した私なりの答えなのです。

 

蓑山大明神はタヌキとされていますが、鳥居が朱赤、そして重なっているので稲荷神社の鳥居を想像しますよね。実際に蓑山大明神の鳥居をくぐり、祠の前に立つと気づくものがあります。

 

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(鳥居をくぐって蓑山大明神の祠に行けば… )

 

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 (祠の左側には蓑山塚が。この奥に… )

 

蓑山大明神のには屋島稲荷」が鎮座しているのです。

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 (ここだけ空気が違う屋島稲荷の祠ですよと。)

 

これは配置的に蓑山大明神を拝むことで「屋島稲荷」を祭祀すること意図した配置であります。

 

さらに蓑山大明神はもとより、屋島寺本堂(千手観音)よりも「屋島稲荷」が奥の位置に配置されていることから、寺内の中でいちばん崇敬の対象として位が高い場所に位置しているということになります。

ということは、、、

屋島寺建立の意義は「屋島稲荷」そのものと考えてもあながち大きくは間違えてないのではないと考えています。

 

その他にも気付いた内容として、、、

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屋島稲荷の祠の石に刻まれている

「平雄明神」、「朝日明神」、「七九朗明神」。


明神とは恨みを神威変える祟り神を指すもの。(全て明神は祟り神だとは言いきれませんが、例えば神田明神平将門などが挙げられます。)

 

この背景から導き出した答えが、

蓑山大明神・屋島稲荷とは真の姿は怒りと恨みをいだいた「まつろわぬ神(とその一族)」。

 

稲荷神については大宜都比売命の系譜に関係する神にあたることもあるのですが、今回については大宜都比売命は関係していないと思っています。

狸の背後に狐、さらには明神が三柱祭祀されています。一概には言えませんが、神として不明となってしまったので稲荷にしてしまった可能性が高いと思います。


また、屋島稲荷は阿波にも関係する神であることは可能性としては大いにアリだと考えます。皇祖系の神に取って代わられた神であったかもしれません。

 

題名にある、「この氣なんの氣?」とは…

「平雄明神」「朝日明神」「七九朗明神」の集合体「屋島稲荷」が放つ氣のことを指していたのでした。


蓑山大明神祠を拝もうとして気付いた「屋島稲荷」ですが、とても異質な雰囲気を出している祠でした。祈れば御利益はありると思います。(かなりな。。。)

ただ、負の意思を持って御利益を要求してはいけない場所。参拝する際は気をつけましょうね。

 

鑑真空海が何を目的として屋島に訪れたのか、またここで「まつろわぬ神」と称した「謎の神(屋島稲荷)」は結局謎のまま。(すいません。。。)

興味を抱いた方は深く調査されてみては如何でしょう。もちろん調査して「屋島稲荷」と「屋島寺」の関連は全く無かったという結果もあるかもしれませんので悪しからず。

 

讃岐の国もまた隠国。

阿波と同じく隠されたものが多くありそうです。

 

今回の投稿はブログ管理人による想定が多分に含まれた内容のものです。文献、古い書物の記録、調査書類を示したものでございませんのでご了承下さい。