awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

大宜都比売命の父は天手力男命

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前回の続きです。
冒頭からトンデモないテーマで開始してしまいました。。。
 
さて、前回は「天石門別八倉比賣神社」は「天石門別豊玉比賣神社」だった旨を文書を基に簡単に紹介した訳でありますが、今回はこの結果に至った経緯を書いてみたいと思います。
その前に文書で書かれている部分も確認しておいて下さいネ。(嘘書いてる訳じゃないっすから。)
 
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(わぁ、ちっちゃぃ… 「杉尾明神ハ天石門別豊玉比賣神ナルヘシ」
 
現在の国府町矢野に鎮座する「天石門別八倉比賣神社」は現社名が付く以前に「杉尾明神」と呼ばれておりました。
 
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その「杉尾明神」の前身が「天石門別豊玉比賣神社」であったのでは?ということです。
 
明治期に「八倉比賣命」の名は阿波国開闢の神である一宮大明神、即ち国魂「大宜都比売命 亦の名 大粟姫」と認識されていたようで、同時期に「大粟大明神(現、上一宮大粟神社)」を「埴生屋神社」へ、「杉尾大明神」を「天石門別八倉比賣神社」へ改名する案が決定しました。
 
これを抗議するために当時の識者達が古傳、古文書などを確認調査して作成したのが「上一宮大粟神社古傳書及御神号改正願稿」。今回はこの文書を引用しています。この中身を確認しますと大粟大明神の社(現、上一宮大粟神社)は「天石門別八倉比賣神社」と呼ばれていた形跡があります。(現在でも上一宮大粟神社は天石門別八倉比賣神社の論社であります)
 
天石門別八倉比賣命=大宜都比売命と認識されていたのは神山 神領の大粟大明神の社名として使用されていたのが大きな理由でありました。それが突然、「埴生女神社」という土の女神を表した冠社名に置き換えられ、「杉尾明神」に「大宜都比売命」を意味する「天石門別八倉比賣」という冠を与えるという歴史を狂わしかねないことを行ったのが騒動の発端だったようです。
 
「ぐーたら気延日記」(重箱の隅)
※この件はぐーたらさんが詳しく書いているのを見て頂いた方がわかりやすいですよ。
 
 
阿波古代史に興味がある方ならご存知でしょうが、記紀、伝承による神名、時系列は様々な置き換えがあります。
今回の件では「大宜都比売命」は複数の呼び名が存在したということです。以前にも書いたように、「阿波咩命」「阿波女神」「天津羽羽神」「倉稲魂神」「豊受大神」「壹与」など。この他にも亦の名「栲幡千千姫命」。とあることを確認致しました。
 
古事記』および『日本書紀』本文・第二・第六・第七・第八の一書では高皇産霊神(高木神)の娘としている。『日本書紀』第一の一書では思兼命の妹、第六の一書では「また曰く」として高皇産霊神の子の児火之戸幡姫の子(すなわち高皇産霊神の孫)、第七の一書では「一に云はく」として高皇産霊神の子の児萬幡姫の子で玉依姫命というと記されている。天照大神の子の天忍穂耳命と結婚し、天火明命瓊瓊杵尊を産んだ。(Wikipediaより)
この通説の内容も「あり得ないこと」と文書には記載されているのです。
 
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(きちんと読んだら書いてることがわかります。長いから線引き省略… )
 
「天石門別八倉比賣」について書かれた内容をご確認下さい。
 
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然レハ天石門別八倉比賣神ト申ス天石門別ノ四字ハ御父ノ御名ヲ冠ラセ給ヘル也
 

栲幡千千姫命の名では更に詳しく記されております。


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栲幡千千姫命佐那神社ニ坐テ天手力男神ト共ニ御戸開之神テフ御称ヲ頁ヒ坐ルハ天手力男神亦名天石門別神ニテ御父也

 

やっと今回のテーマに行き届きました…。
 
このように「大宜都比売命」の別名「栲幡千千姫命」から天手力男神」が父であるという内容が出てきました。

その他にも…
じゃじゃーん!!系図です。

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ここで「天石門別」という冠が父「天手力男神」の別名「天石門別神」から継承したもの。
そしてここからは自説ですが「八倉」は「大宜都比売命 八柱の随神」の拠点を示すものではないのかと考えております。(粟国造館が神山に3箇所あることを確認しました。)
 
おいおぃ、「天石門別豊玉比賣神社」はどうなった?
 
安心して下さい。忘れていませんよ。(笑)
上の引用にもありますように「佐那神社」とは伊勢国鎮座の神社ではありません。
 
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言わずと知れた阿波 佐那河内村に鎮座する「天岩戸別神社」でございます。
この「天岩戸別神社」から「矢野 杉尾明神」なる「天石門別豊玉比賣神社(現 天石門別八倉比賣神社)」に繋がりがあることは上記にて明白。
もちろん「天岩戸別神社」に祀られる豊受大神も「大宜都比売命」です。
 
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(天石門別八倉比賣神社 摂社 松熊神社)
 
ここ松熊社にも「天手力男神」は坐す。(因みにもう一柱の祭神 天宇受女命は佐那河内村 大宮神社からの分祀と踏んでいます)
 
 
と、いう訳で現在の「天石門別八倉比賣神社」は、佐那河内村天手力男命の娘である栲幡千千姫命こと、事代主神を夫に持つ阿波の国魂「大宜都比売命」を祭神とし、二代目 天照大神である「壹与」、そして一宮大明神 阿波女社系も複合されたとても格式が高い「元」「天石門別豊玉比賣神社」なのであります。(わかったかな?)
 
あと、なぜこのような状態になったか「仕組まれた計画」の部分については後々書いていきます。(また書く気になったらね。)
 
ぐーたらさん、これくらいが限界… 勘弁してください〜。(苦笑)