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awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

誓約の皇子達(八万町 王子祠、丈六町 熊野神社)

日本一社 名東郡 阿波の神社巡り 神の坐す場所
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徳島市八万町には建速須佐之男命天照大神の宇気比・誓約から生まれた五人の皇子、そのうち四人の皇子の祠が存在していたことが「八万村史」には記されています。

まずは五人の皇子が生まれるまでの簡単な経緯から。

伊邪那岐命イザナギ)が建速須佐之男命(スサノヲ)に海原の支配を命じたところ、建速須佐之男命伊邪那美命イザナミ)がいる根の國(黃泉の國)へ行きたいと泣き叫び、天地に甚大な被害を與えた。伊邪那岐命は怒って「それならばこの國に住んではいけない」と彼を追放した。
建速須佐之男命は、姉の天照大神に会ってから根の国へ行こうと思い、天照大神が治める高天原へ昇る。すると山川が響動し国土が皆震動したので、天照大神建速須佐之男命高天原を奪いに来たと思い、武具を携えて彼を迎えた。
建速須佐之男命天照大神の疑いを解くために、宇気比・誓約をしようといった。二神は天の安河を挾んで誓約を行った。まず、天照大神建速須佐之男命の持っている十拳剣(とつかのつるぎ)を受け取って噛み砕き、吹き出した息の霧から以下の三柱の女神(宗像三女神)が生まれた。
  • 多紀理毘売命 - 別名:奧津島比売命(おきつしまひめ)。沖つ宮に祀られる。
  • 市寸島比売命 - 別名:狹依毘売命(さよりびめ)。中つ宮に祀られる。

  • 次に建速須佐之男命が、天照大神の「八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠」を受け取って噛み砕き、吹き出した息の霧から以下の五柱の男神が生まれた。


これにより建速須佐之男命は「我が心清く明し。故れ、我が生める子は、手弱女を得つ。」と勝利を宣言した。(Wikipediaより)

 

なんとなく五人の皇子が生まれた流れがわかって貰えたでしょうか。(笑)

上記の説明からの解釈は人それぞれだと思いますが、私は天照大御神素戔嗚命が同盟を結び、天照大御神からは三人の皇女を、素戔嗚命からは五人の皇子をお互いに人質交換したと考えています。

あまり深く考えると進まないのでそろそろ本題に進めましょう。

まず、現存する祠として三皇子 天津日子根命(あまつひこね)を祀る向寺山の三王子祠。

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現在はシンプルに王子神社となっています。祭神の日子根命(ひこね)から「ひこね神」と呼ばれ、それが転訛して猫神(ねこがみ)となり学問の神として崇敬されています。

 

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四皇子の活津日子根命(いくつひこね)は、八万町長谷の四王子祠。現在は四王子神社として鎮座しております。

 

第一皇子と第二皇子なのですが、一皇子 天忍穂耳命(あめのおしほみみ)の一王子祠は福万谷、二皇子 天之菩卑能命(あめのほひ)は柿谷の二王子祠で祭祀されていました。

一王子祠は黒岩神社入り口付近にある竹薮の中にあったそうですが、今は祠も破壊されて見つける事さえも叶いません。

柿谷の二王子神社も残されていません。しかし文化年間に書かれた古地図にニ王子祠の記載を見つけることができ、場所は柿谷の地神塔がある場所だそうです。( 第ニ皇子の天之菩卑能命は後年に陵墓ごと移動されたようで、現在は小松島市の豊国神社の境内社である御縣神社として現存しています。)

 

 

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そして最後の皇子、第五皇子である熊野久須毘命クマノクスビ)は、少し離れた丈六町の熊野神社で祀られています。

第四皇子の活津日子根命、第五皇子の熊野久須毘命天孫族の血を継承したにもかかわらず諱(名前)に「天(あめ)」の字が含まれていないのが気になります。
 
特に気になるのが熊野久須毘命が祭祀されている場所は大国主神一族の陵墓「恥ずかしヶ峰」の南側。
出雲族の一等墓地を陵墓としているのは気になるところです。
第四皇子と第五皇子は天照大御神を裏切ったのでしょうか…  ここも敢えてさらっと進めましょうw(笑)
 
 
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さらに父である素戔嗚命は八万町から佐那河内村天王神社として祭祀されている形跡が残ります。
 
 
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天照大御神佐那河内村にて大宮神社、朝宮神社(こちらは瀬織津姫)として祭祀が継続しています。
 
極めつけは、天照大御神は天石門別八倉比賣神社の奥の院で、素戔嗚命眉山の八人塚古墳で鮎喰川を挟み対極の位置で陵墓が造営されていること。
 
しかし今回のテーマの中の天照大御神素戔嗚命は、神山町で祭祀されている天照大御神素戔嗚命とは別人のような気がしています。(気だけ)
これもまた後ほど調査して書き足したいと考えていますが、いずれにせよ天照大御神素戔嗚命の皇子の祭祀場所が集合しているのは阿波だけ。
 
今回紹介した内容から、古事記と日本書記に記録された神話は日本列島を舞台とした物語ではなく、主に阿波を中心とした物語であったことがわかるのではないでしょうか。