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awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

三社だった大麻比古神社

明神、大明神、権現、大権現 板野郡 神の坐す場所 阿波の神社巡り 忌部氏 古文書

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阿波名勝案内大麻比古神社の項には本来三社によって祭祀していたと記載されています。記述によればその他にも境内社摂社も現状とは差異が見受けられることがわかり、これはある時期に何らかの手が加えられたことが推測できます。往古の記録と現状との差異を調べることによって大麻比古神社の創始・祭神の謎を解明できるヒントが隠されているかもしれません。それではさっそく引用文を確認してみましょう。

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板東町大麻山麓にあり國弊中社たり、四国第一番の靈場なる靈山寺の門前を左折し行く事少許、松林を交へて隧道を作る者七八町、松林の盡る處祓橋あり、之れを渡り左右に數株の老樟を仰きつつ石磴を登れば、正面に檜皮葺の本殿幣殿あり、之に向つて右側に社務所あり、左側に神庫神饌所休憩處あり、境内清楚細薼をとどめず神威厳然として犯すべからざるものあるを覺ゆ境内末社には牛宮神西宮神社豊受神社山神社水神社丸山神社、仝攝社には野神社天神社、境外攝社には岸神社仝末社には長井神社長木神社宇志宮神社等あり。
阿波志に「延喜式名神大祀月次新嘗並祭國司祈年祈雨皆興焉在板東山上三代実録貞観元年正月廿七日授従五位上九年四月二十三日授正五位上元慶二年四月十四日授従四位下七年十一月朔授従四位上」とあり、其後屢次昇位して享保四年三月十四日正一位を授けらる、維新となり一旦縣社となり、明治六年更に國幣中社に列せられ宮司以下の職を置かる、社後に聳ゆる大麻山は松杉蓊鬱として獨り雄を恣にし、山上弥山神社山ノ神社を祀る。阿波志に「孤峯高峻深樹蓊鬱有大麻彦祠因名城北之山是爲第一又有麻漬渓及丹井旱乾不涸又有小山蔭苧解谷剃刀峯鞠山不可枚擧北有後谷䕾穴豁然又有龍王祠村民乞雨」とあり大麻比古神社は山上に有りし者の如くなるも、享保十四年四月の取調によれば、板野郡板東村大麻神社は往古岺権現てふ三社あり、谷に大麻大明神あり、即ち岺の権現は猿田彦及び鹿江比賣命を祭り所謂大麻彦神の后神と稱し、或は天日鷲津咋見命を齋祀するもの即ち今の弥山神社なりとも云ふ、谷の大麻大明神は今の本社大麻比古神社なりとあり、此地徳島市を距る三里十六丁、撫養町距る三里、板東町は撫養街道に於ける一小驛にして、商店宿舎軒を連ね市街の觀を爲す、此地又本郡の公会堂を置かる。

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境内社の牛宮ですが、これは現在祭神不明である中宮神社のことをでしょうか?境外摂社に岸神社、末社には長井神社・長木神社と宇志宮神社とあります。

岸神社の詳細はわかりかねますが、霊山寺南側に宇志比古・宇志比賣神社、長井・長床神社が今も存在します。宇志比古・比賣神社は粟国造粟凡直氏族を祀る社であり、長井神社(明神)は鹿江比賣命であるという情報もございます。

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その他にも社殿背後に控える大麻山には麻漬渓、枯れることがない丹井、小山の蔭には苧解谷、剃刀峯、龍王祠が存在したことが記されています。こちらは大麻山、麻漬渓、苧解谷(苧:麻繊維の意)から忌部氏の名残りあるものと推測できます。剃刀とは天日鷲神が当地より神去りしたことを伝えるものであり、龍王祠は現在の真名井の水に存在する祠ではないでしょうか。(この伝承はのちに付加されたものであると考えています。)

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さて、それでは本題。
大麻大明神は三社によって構成され、峯の権現とも呼ばれた大麻大明神は猿田彦大神と鹿江比賣命を祀る二柱を合わせた神だそうです。

鹿江比賣命は麓に野神社として祭祀されており、また境外摂社である長井・長床神社でも祭祀されていたといいます。里宮で祭祀された大麻大明神とは鹿江比賣命であったと考えます。

その他、引用文にも鹿江比賣命は大麻彦神の后神とされていることから大麻比古神=猿田彦大神で考えると鹿江比賣命は天鈿女命に比定することができ、天円山の伝承とも繋げることもできます。

 

そして猿田彦神

猿田彦神は里宮と対である山宮で祭祀されていたと考えます。

大麻山山頂に鎮座する現在の弥山神社で祭祀されたいたと伝わるのが天日鷲津咋見命と猿田彦神。天日鷲津咋見命とは、天日鷲の部分が役職名、津咋見命は天日鷲命の御子である大麻彦神と同神として比定が可能です。そしてここでも猿田彦神の名で記述されていることから、同一神を別名で記述していたことで各々別の神として誤認識されるに至ったと考えています。

 

そして田宮。

山宮と里宮に分かれて祭祀された神々は、のちに命の源である穀物を育てる田にも祭祀されるようになります。これが田宮(宇志比古・宇志比賣神社や長井神社・長床神社)と認識するものであります。基本的には山宮・里宮で祭祀されていた祭神が田園で小祠として祭祀されているものが多いです。

 

山宮・里宮・田宮の三社による神宮形態。

このように山宮で猿田彦大神大麻比古神)、里宮で天鈿女神(鹿江比賣命)、二神をそれぞれ祭祀したものが田宮とされ、これらを全部ひっくるめたのが大麻大明神と記録されているのではないでしょうか。

さらに遠い昔、佐那河内村・入田村から粟国造粟凡直氏族により猿田彦命天手力男命、天鈿女命が天石門別八倉比賣神社に移遷されています。(松熊神社、本殿裏の猿田彦祠)これらが後に板野郡に移遷されたものが葦稲葉神社も含まれる大山積大神宮(大山寺)であり、それになぞらえた山宮・里宮・田宮で形成された猿田彦神と鹿江比賣神の祭祀場が大麻大麻大明神(猿田彦命・天鈿女命)であると考えたのが今回の結論。

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往古では大麻比古神社は山宮・里宮・田宮で形成された三社形式の神宮として認識されていたということです。

これは佐那河内村に記録が残されたままで所在が不明になっている「猿田彦大神宮」が当地、大麻比古神社に継承されていたのではなかろうかと推測しているのであります。

 

という訳で今回の内容はともかくとして、前回投稿からモノクロ写真が続いていたので大ヒット映画「君の名は。」風の写真に加工して添付してみました。(awa-otokoは未だ観てませんが。。。)

ちょっと雰囲気が明るくなったでしょ。それでは。(^^)

阿波井神社で隠れている神

板野郡 神の坐す場所 阿波の神社巡り 大宜都比売命 忌部氏 古文書

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阿波井神社(あわいじんじゃ)は徳島県鳴門市瀬戸町堂浦に鎮座しています。

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堂浦地区と小鳴門海峡を挟んだ対岸の島田島南部にあり、クスノキをはじめとする各種の古木に全山が覆われた中に社殿が建立されています。

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神殿は元々、この山の背面にあたる内海に面した場所にあったが、江戸時代の徳島藩主家である蜂須賀氏によって現在の地に移されたとのことであります。

この神社の祭神は天太玉命大宜都比売命だけの紹介にとどまっておりますが…

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驚くことに、この神社にはまさかの神が隠れていたのであります。

ソースはこちら。(今回書き下しに自信なし… )

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阿波井神

霊験新たかなる神なり。水戸の神 秋津姫命と呼ばれるならん。おの身しも写したまわり志思ひ人のいふをも必ず叶えると曰く常なり。
今思ふに三代実録云貞観十四年十一月廿九日阿波国正六位上伊比良姫神 船尽咩ノ神並従五位下云云

船尽咩の神にして今阿波井咩神にて祀れるにや。実々社の辺りは岐水門にて是考えるに船尽ノ神とも唱へ奉る也。

追考讃岐国苅田粟井神社 帆負命を祭るよしなることも曰くこの神 阿波井 帆負と音近かかれし。

はい。 江戸時代、大麻比古神社の祭官を務めていた永井精古が記録した「阿波国見聞記」から引用しました。記された内容からすれば名方郡の船尽神社より分祀された社に間違いないでしょう。

この発見から興味をそそられるのは、忌部氏天太玉命大宜都比売命を祭祀して海を渡ったということに加え、船尽咩神: 猿田彦大神(にひじょうに近い神)も含められていたということ。

awa-otokoは、天太玉命=天日鷲命、船尽神=猿田彦大神=大麻彦神と考えていますので、ここに大宜都比売命が加われば粟ノ國創生の神である三神が、当地に勢ぞろいしていると考えることができるのです。

天日鷲命大麻彦神(猿田彦大神・船尽神)、大宜都比売命、それぞれに名前を変えながら全国津々浦々に広がりをみせておりますが、そのスタート地点が阿波井神社であったとすればとても大きな発見なのではないでしょうか。

  

また、ご存知かもしれませんが讃岐国にも粟井神社が分祀されております。こちらは手置帆負命が祭祀されているのですが、「阿波井(あわい)」と「帆負(ほおい)」の音が似ているということが述べられています。これついてはさすが少し強引な繋ぎであるのではないかと考えますが、手置帆負命と阿波井神社の関係性は少なくとも「有る」のではと想定しています。

f:id:awa-otoko:20161201221104j:image(入田町に残る謎の供養塔)

手置帆負命は、天照大神が天の岩屋に隠れてしまわれた時、彦狭知命(ひこさしりのみこと)と共に天御量(あまつみはかり)をもって木を伐り、瑞殿(みずのみあらか)という御殿を造営した。
天児屋命(あめのこやねのみこと)らが祈りを捧げ、天鈿女命(あめのうずめのみこと)が舞を奏したところ、天照大神は岩屋を出て、この瑞殿に入られた。 後年この間に天降りした大国主命(おおくにぬしのみこと)の笠縫として仕えたとされる。
古語拾遺(807年)の「天中の三神と氏祖系譜」条に、太玉命(ふとたまのみこと)が率いた神の1つとして、「手置帆負命讃岐国の忌部が祖なり。)」とあり、この「手置」とは「手を置いて物を計量する」意味と解釈されている。
また、同書「造殿祭具の斎部」条には、「手置帆負命が孫、矛竿を造る。其の裔、今分かれて讃岐国に在り。年毎に調庸の外に、八百竿を貢る。」とあり、朝廷に毎年800本もの祭具の矛竿を献上していた。このことから竿調国(さおのみつぎ)と呼ばれ、それが「さぬき」という国名になったという説がある。(Wikipediaより)

入田村 謎の供養塔に刻まれた手置帆負命についても何らかの形で関係していたように思えてなりません。入田村から船尽神(猿田彦大麻彦)が当地へ。そして淡路島、讃岐へ渡った拠点であったと想定できることから、同じ入田村から手置帆負命彦狭知命も同ルートを辿り当地に集合し、讃岐、淡路島へ移動していったという流れを引用に絡ませて想定してみました…(が、詳しくはまだ解ってないのであくまで想定)

f:id:awa-otoko:20161201222314j:image(讃岐の粟井神社)

f:id:awa-otoko:20161201222330j:image(讃岐の大麻神社)

f:id:awa-otoko:20161201222351j:image(讃岐の飯神社)

讃岐忌部の祖である手置帆負命彦狭知命を入田村から阿波井神社へと関係付けたのはいささか強引でしたが、船盡比賣神がまさか阿波井神社の隠れた祭神であったのは驚きであることでしょう。

ここから新しい発見や他国との繋がりがみ出せるかもしれませんね。

ということで、新しい材料は用意したので後の調査は任せました。(誰に⁈ 笑)

それでは。(`_´)ゞビシっ。

 

オマケ。

阿波国 一ノ宮である大麻比古神社はもともと「大麻比古神社」という社名ではなかったようです。

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「一宮大麻産神社」。ちょと面白いと思いませんか? 

阿波三國説から出てきた様々な推測

三好郡 勝浦郡 名東郡 名西郡 板野郡 美馬郡 那賀郡 阿波の伝説 阿波郡 麻植郡 海部郡 大宜都比売命 忌部氏 古文書

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以前に粟、長、麻植の起りを投稿をまとめた内容です。 もちろんソースの古文書は転載しましたが、とてもめんどくさいので訳してません。それでも良ければ読んでみて下さいね。(≧∇≦)

上古當国は大きく三國に分かれ有りしなるたし。即ち粟と云う縣、麻植と云う縣、長国なり。

f:id:awa-otoko:20161127223254j:image(粟國:上一宮大粟神社) 

その先ツ粟と云う縣は板野、阿波、名方(名東・名西)等の三郡なり。故にこの地の百姓を後に粟凡直と云ひしなるたし。

f:id:awa-otoko:20161127223330j:image(長國:勝占神社)

長国は那賀、勝浦、海部等の三郡より其端名方郡にかかりて有しなり。其れ那賀郡を長国の地なりし説論あり。海部郡は古くより那賀郡の内なりしを後に和射海部の二郷を割きて一郡を置れしなり。勝浦郡も長国の地にて有りし説に、勝浦郡の人民 長直(ながのあたい)姓なるを以て長国に由ある姓なり。今もこの郡の小松嶋浦中田村あり。この総称を千代と云へるは長国の長の名の残りにて千代と傳たれり。(千代の丸は長の丸の転訛なり)

f:id:awa-otoko:20161127223405j:image(麻植縣:高越神社)

残る処を麻植、美馬、三好等の三郡なり。上古麻植と云ふ縣なり。古語拾遺に”郡名爲麻植之縁”とあれとも神武天皇ノ朝の事を記したる條なり。考えるに郡制尢孝徳天皇朝になり。其以前に郡の称あらむされども實は郡に非るを郡を制定、後に郡字を當てて書きたるものなり。麻植と云ふ縣のありしを知るべし。

f:id:awa-otoko:20161127223615j:image(麻植縣:御所神社)

美馬三好を上古一郡の美馬郡なりしを割きて三好郡を置れしなり。古傳に忌部神社の祭禮に馬を美々敷して出せし由ゑ、郡名を美馬といふ由なり。

f:id:awa-otoko:20161127223724j:image(粟國:岡上神社)

長国や粟の縣の甚(いと)大きかりしを分ちて数郡置かれたるを思ひ合せてさとる如し。これ考て上古三國なるたしと云へるなり。但し大別を三國にして其中に小地名を多くありしなるにして三大社の大神等の神勲にてひらき給ひし外にも裔神、他の神等も由緒増して処々にてひらきせられしも多かる如し。
祖谷山も”ゑいらのみこ”のひらき給ひし地なりと云い、板野郡の名も葦稲葉神の御名より出たりと云ひ、生夷谷も蛭子大神のあられませし地なりと云フ傳への類、処々あるにて知るべし。 

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・粟國は大宜都比売命(とその裔)。
・長國は積羽事代主神(とその裔)。
・麻植縣こそ忌部國。天日鷲命(とその裔)が治めた國。 

awa-otokoは大宜都比売命天日鷲命大麻比古神が降臨し、国を運営した当初は粟國と麻植縣は元来一つの領域であったと考えています。時代を経て粟國から忌部國(麻植縣)が割れ出た謎をこれまで調査した内容と資料から推測してみたいと思います。 

本来、大宜都比売命天日鷲命大麻比古神は同系の神であり、粟國(板野、阿波、名方)と麻植縣(麻植、美馬、三好)は一つの領域だった。

大宜都比売命の治めた粟國の領域には板野郡が含まれます。その板野郡に拠点を構えたのは大麻比古神です。天日鷲命の御子であり、大宜都比売命降臨の際に伴ったと伝わる大麻比古神が板野郡を拠点としたのは、三神が共同運営した経緯があるが故だと考えるのです。この時系で本来の領域を考えるには粟凡直氏族の分布で考えなければなりません。後から付け足された忌部族というカテゴリーを大麻比古神にあてはめれば結論に詰まるのは必至なのです。

そして次に考えるのは本来粟國領域の中に含まれていた(と考える)麻植縣がなぜ独立したのか?ということです。粟國より割って出たのはもともと同族であった大宜都比売命一族(仮に粟族)と天日鷲命一族(仮に麻族)の中で争いが発生したのが理由ではないでしょうか。

 f:id:awa-otoko:20161127224419j:image(麻植縣:種穂神社)

 

大宜都比売命は粟で国を経営し、天日鷲命は麻による経営で範囲を拡大した。後に粟族と麻族で激しい衝突を繰り返し袂を分けるに到った。(大宜都比売命天照大神天日鷲命素戔嗚命に比定。) 

 

f:id:awa-otoko:20161127224457j:image(粟國:天石門別八倉比賣神社)

・初代 大宜都比売命と二代目 大宜都比売命は血の繋がりが薄く、別の部族(天石門別系(粟族)と伊豫 和多津美系(海人族)の違い)のために天日鷲命一族(麻族)と衝突した。(初代大宜都比売命卑弥呼、二代目大宜都比売命を壹与に比定。)

 f:id:awa-otoko:20161127224113j:image(粟國:大麻比古神社

忌部祭官家である早雲家の伝承では、大麻比古神は「猿田彦大神・岐の神」として神山神領、入田村、一宮村とも交流が深いことが記されている。この内容から 大麻比古神は二代目大宜都比売命とは比較的に友好的な立場をとり、板野郡を運営していた” のではないかと推測します。 大宜都比売命が忌部族と淡路島→→に渡っているのは大麻比古神が関与しているのではないかと考えてみたり。。。(淡路は阿波路。また「粟死の意」とかも… )

f:id:awa-otoko:20161127224853j:image大麻山:弥山神社)

という訳で、天日鷲命の御子という系譜、大麻比古という神名から麻の忌部族と決められてしまった大麻比古神。本当は粟で国を繁栄させた大宜都比売命と協力した功績や猿田彦・岐神として粟凡直一族が他国に渡る手引きをした等の功績から「阿波(粟)の一ノ宮」の称号が一時的に移されたのかもしれません。それがそのまま「阿波国一ノ宮」として定着した可能性が高いと考えました。

f:id:awa-otoko:20161127224158j:image一宮町:大麻比古神社) 

大宜都比売命のお膝下の一宮村に大麻比古神社の元宮が存在し、大麻比古神の領域である板野郡に大宜都比売命の御子である葦稲葉神が祭祀されているのをみても、大麻比古神と大宜都比売命には太いパイプがあったのではないかと推測します。

f:id:awa-otoko:20161127224246j:image(上板町:葦稲葉神社)

awa-otokoは大麻比古神を猿田彦大神とも比定しているのでそちらも調査継続していきたいと考えています。 

さて、結論的には昔から様々な意見があった阿波三國説。忌部国は存在したという考えです。総体的に考えれば粟國と長國も積羽八重事代主命大宜都比売命の婚姻関係を含めれば同系であり、様々な視点と解釈の相違によって見解が変わるので決めつけは難しいです。まぁどの時代で考えるかですね。

今回はここまで。興味ある方は各々で結論を考えてみてください〜。\( 'ω')/

一宮家のルーツ‼︎ 大通寺良蔵院とは⁈

古文書 名西郡 大宜都比売命 日本一社 明神、大明神、権現、大権現 武将 神の坐す場所 阿波の伝説 阿波の神社巡り

f:id:awa-otoko:20161122001922j:image神領上角川)

何かと忙しくていつもより投稿の間が空いてしまいました。「年末にかけてこの忙しさは何なんだ!(*_*) 」ということで、投稿できるタイミングの今、まだ誰も知らないと思われる情報をリークしておこうと思いますw

 

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一宮氏祖 小笠原宮内大輔は小笠原長清の従弟なり。上総八郎廣常と縁あり依而小笠原弾正少弼長利 千葉家懇意ヲナス弾正男子ナク弥太郎養子トス 鎌倉三代将軍 実朝卿ヨリ健保六寅年八月従四位下ニ任ス貞慶弐未年三月源頼経将軍 執権北条泰時ヨリ四国ノ守護職に居置ル弾正 神領江隠居シテ修験者大通寺正覺院ト縁ヲ結国造家相続スル。太粟姫尊国造勤メ玉フ云〃
各弐家古系図ニハ小笠原弾正長利国造家相続と志るしなれども是ハ傳への誤りにて国造家相続ハ宮内大輔長宗實なるべし。

 

弾正の代に神領に隠居して正覺院と縁を結び、当地にて宗家の代祭を執り行ったことを国造家相続として誤写されたとあり、弾正という名称も各代に継承されていることから、系図を作成した際に文飾して長利とされたと記されています。粟国造家相続、即ち「小笠原上一宮大明神」は、「小笠原宮内大輔長宗」からということらしいです。

 

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神領大久保)

因云、大通寺正覺院ハ今上角名大通寺良蔵院といふ院内一派の修験あり。一宮城主小笠原氏と縁を組しこと今に此村に言い伝へあり。又小笠原氏隠居家なりと云ふ説もあり。良蔵院は古くより一宮の子孫と言傳へて近年長門守の位牌を造せり。按にこの一宮子孫といふ事に考ふべき事あり。小笠原氏と縁を組しにて言出したるにハあらず往古一宮といひしハ今の一宮村の社にはあらず。上一宮大明神を諸人一宮と申奉しその後にて近きにあたりハおのずある地名の如くを言しなるべし。大通寺ハ其地の大家にて小笠原氏と縁を組し程なればあたりに並ぶ家なく余りありて一宮と云えハ大通寺言い彼家のこととなりし也。一宮を姓の如く諸人唱へ来しを古くより一宮子孫と言傳へしなるべし。この家近年焼失して何も古き記録なし。

f:id:awa-otoko:20161122002248j:image神領上角谷)


はい。昔に大粟山の麓、上角川の流れる近くに大通寺という寺があり、その大通寺には良蔵院一派「正覺院」と名乗る修験者が存在していたそうです。この「正覺院」は粟国造家の裔であり、大宜都比売命を祭祀してきた家柄であったのはいうまでもありません。(のちに小笠原家と交わり小笠原家隠居家とも。)

f:id:awa-otoko:20161122002324j:image(大粟山 天辺ヶ丸祠)

f:id:awa-otoko:20161122002337j:image(天辺ヶ丸)


書き記された内容では、神領の地に「一宮」と呼ばれた地がもともと存在していたそうで、「上一宮小笠原大明神」はその地名から採用されたようです。(田口大明神とは別なんでしょうね。小笠原家が入ったから上一宮小笠原大明神。)

さらに書けば大通寺(国造家)があった場所が「一宮」と呼ばれた地名だったようです。(粟:阿波一宮を祭祀したから一宮の地名ができたのか、姓ができたのか前後関係は不明。)

ということで、上一宮小笠原大明神から分祀された一宮村 一宮大明神のルーツも神領村大通寺が存在していた一宮からという事になりますよね。小笠原家から一宮の姓を採用し、家が別れたのも同じ理由からなのではないでしょうか。上一宮大粟神社と下一宮神社が分かれた理由もここにあり!ということです。 

awa-otokoは大通寺が存在した位置はあらかた掴んでいます。所在地のヒントは文中に点在させてあるので気になった方は調査してみては如何でしょうか?ニヤ(・∀・)ニヤ

大宜都比売命、その裔である粟国造家や粟凡直一族。調べると次々と驚きの事実が出てきます。この他にもまだまだ書きたいことがありますがとても長くなりそうなので今回はこのへんで。。。

 

あ、最後に。。。

粟国造家であった小笠原系一宮氏は、現在の(一般的?な)阿波の一宮姓とは繋がりがほとんどないそうです。「混同せざること!」と書物にあったので書いておきまーす。

神山に存在した阿波民部の城(粟国造家の拠点)

名西郡 神の坐す場所 阿波の伝説 阿波の神社巡り 大宜都比売命 麻植郡 古文書 平家

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今谷名ニテハ皇子権現ト申シ、其邊リヲ皇子原ト云ニテ知ル可シ。此社ハ阿波民部城跡ニ在リ、亦同郡上浦村ニモ皇子権現ト云社在テ、有持氏ノ先祖也ト云由也。按ニ有持氏ハ阿波民部ノ子孫也。谷名ナル皇子権現ハ先祖民部ガ信仰セン神故ニ彼村ニ移シテ先祖ノ神ト云欤。

以前に有持氏をピックアップした際に引用した内容です。とりあえず神山で阿波民部の城の存在を示すものは上記文しか確認したことはないので貴重(と思ってますw)。

さて、awa-otokoが今回改めて、阿波民部こと田口成良が造設した城跡推定地を確認してきました。

過去記事にもありますように阿波民部、田口一族は大宜都比売命を祭祀する祭官家としても知られております。古文書に記された地名、粟飯原家の拠点である栗生野との繋がり、現地の立地条件からここに間違いないなと感じましたので今回ご紹介いたします。

大宜都比売命、夫神である積羽八重事代主神(味鉏高日子根命)、粟国造家(粟飯原家)の伝承が重なり合いそれが立証できる場所。


それは、、、

阿波古代史を追う方はよく耳にする場所、長満寺とその背後にある出雲神社(城山神社)がある「城山」であります。

 

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f:id:awa-otoko:20161112184446j:image(長満寺)

f:id:awa-otoko:20161112184600j:image(出雲神社:城山神社)

堅固な石垣、狭い通路、急勾配な坂、要所に置かれた石門。

f:id:awa-otoko:20161112184418j:image(城山にある立派な石積み)

f:id:awa-otoko:20161112184524j:image(長満寺・出雲神社に向かう石垣に挟まれた狭い通路)

そしてawa-otokoが間違いないと確信したのは、粟飯原本家からしか見えないと云われる「味鉏高日子根命の神像」即ち「笑子岩(えびすいわ)」が刻まれた高根山の真正面に位置するから。

f:id:awa-otoko:20161112190735j:image(笑子岩、めっちゃ近し!!w)

f:id:awa-otoko:20161112203009j:image(上の写真はカメラマンの腕が悪いので見えませんが、この絵のような顔がはっきりわかります。)

また、大粟山 天辺ヶ丸から見える西側の眺望は長満寺と出雲神社付近(城山)を確認を中心に、粟飯原家(粟国造家)の居住地である栗生野を確認するためにあるとしか考えられません。(その他、東宮山と焼山寺山など狼煙台があったはず。)

f:id:awa-otoko:20161112185629j:image(大粟山 天辺ヶ丸からの眺望)

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f:id:awa-otoko:20161112190932j:image(ズームインw)

もちろん長満寺からも大粟山 天辺ヶ丸はよく確認できます。(栗生野集落はもちろん、焼山寺山もはっきり確認できます。)栗生野集落は城山の麓、鮎喰川を挟んだ直ぐ前に位置します。

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という感じで、落としどころがわからなくなってしまいましたがwww、この城山の地にあった王子権現が有持氏の手によって麻植郡上浦の有持神社として鎮座しているということですね。

 

個人的には栗生野集落のほかに神代からの粟国造家の拠点であった当地の施設を阿波民部(田口成良)が軍事拠点として使用したのではないかと考えています。(または悲願寺周辺が古代の砦と考えるならば、後年に降ろした山城ではないかとも考えたり… )

いろいろ考えてますが、阿波民部自体の行動範囲が広すぎていまいち動向が追えていません。ここが追えれば大宜都比売命伊予国と関係も出てくるかもしれないのですが。。。

この他にも粟国造家に直結する施設跡を神山で調査中です。まとまったら紹介したいと思います。

 

オマケ。

大宜都比売命・粟国造家には関係ないかもしれませんが、神領には笑子岩のほかに「人面岩」が存在するらしいですよ。

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これ、何なんでしょうね。