awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

ちはやふる… 三韓征伐の御神歌

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十月に入りましたね。十月といえば阿波の南方において赫舟の行事が催される時期。今回は浅川港に伝承されていた舟歌をご紹介したいと思います。

浅川の天神社の祭事は旧十月十七日(神嘗祭)の日に行われていました。(現在は祭日も変わり、山車は南海地震津波により流失し、復旧されていない。)

(少し前の事ですが天神社 関船のニュースがありました。)

 (浅川ではなく牟岐ですが関船関連です。)

f:id:awa-otoko:20171001085542j:image(浅川 天神社)

祭日には神輿と関船、だんじりが出て町内を曳いて大変賑やかであったといいます。そして関船をだすと舟歌が歌われていました。今に伝わるこの歌、内容がとても興味深いのです。

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出立前に社前で歌う御神歌
千早ふる神の御代より受け継ぎし帝は多くその中に、とりわけ神功皇后三つの韓国治めんと御船の数が筑紫がたその名を高きたちばなの、おどの潮路にあらはれし、神は船午の大社札をみて、向かうかたきをしたがえし、めでたく帰朝ましまさば四海波風静か、今に津の国住吉と、神とあがめしみは白の、引く注連縄に千代かけ、長きためしはつきせじな、御用はうれし。

社前を出るときの出船の歌
こぎいでて四海をやすき渡りしが、ひより思ひが叶うたかや、思う港につきの船、住吉の松の葉ごしに出る月は、月も目出宅床にさす。いつとてかわらぬものは笹の葉で、二葉の松でと君と我がなか。

祝儀をもらったとき取り舵に家にあるときの歌
ほのぼのと明石の浦の朝霧に、山隠れ行くお船なだよし、松風や厳の上に鶴と亀、千代萬代舞い遊ぶ。

祝儀をもらったとき面舵に家があるときの歌
宇治の白雪朝日にとける。とけて流れて沼島に落ちる。沼島女郎衆の化粧の水、月とても浪間に向かう竹生島船に宝を積む心地、奥山のもみじ踏みわけなく鹿の声、妻こい友を呼ぶかな。

「取り舵」「面舵」の歌の終わりに歌う歌
天下泰平治まる御代こそ目出度いな。鶴は千歳、亀は萬歳。

さて、関船については当地において鎌倉時代に宋および高麗との貿易に使用された貿易船を模したとされています。しかし紹介した関船の「御神歌」の歌詞には「神功皇后三韓征伐」の内容が含まれていること、「筑紫の、」「たちばなの、」「おどの潮路に、」など古事記に記される内容を転用した形跡がみられ、神功皇后三韓征伐出立から凱旋帰国の際の模様を歌っています。

「御神歌」以外の歌については海人の心境を含め、縁起が良い内容で締めたもので、御神歌より後世に作られた歌と考えます。

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昔、法華谷の奥の大宮山には海部郡内唯一の延喜式内社 和奈佐意富曽神社が浅川、多良、大里、高園、奥浦、鞆ほか二十一村の氏神として共祀されていました。このことから当地一帯の海人族達が古代より全国津々浦々はもとより、半島に行き来していたことは間違いありません。

阿波に神功皇后武内宿禰の所縁の地が点在しているのは当時の勢力が航海中に基地として設けた場所であると想定できるのです。

最後に…

今回、写真の掲載が少ないのはエラー発生?のためか一部写真がアップロード出来なかったため。改めて関連写真を付け足しする予定です。ちょうど祭礼中の関船の写真も用意してなかったのでまた掲載したいと思ってます。(・∀・)