awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

古社をつなげる上山の卯辰市

 まずは冒頭にてご紹介。

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さて、今回は神山町の黒松八幡神社と宇佐八幡神社の繋がりについてご紹介したいと思います。
両社ともに神山町を代表する歴史の古い神社であります。

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(黒松八幡神社)

 

 

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(宇佐八幡神社

また、この二社は粟飯原家と縁の深い神社なんですね。黒松八幡神社の文書の記名では粟凡直の姓を使用して粟飯原氏が記名していますし、宇佐八幡神社には粟飯原氏の氏神(妙見宮以外の社)を合祀しているとのことです。

さて、それではこの二社と粟飯原氏をつなぐ、卯辰市をご紹介したいと思います。

辰市は下分上山村粟飯原儀右衛門 仁志長左衛門の両名の創始にかかり、正徳元年十一月五日に始めて之を開き左右内磧に國中屈指の相撲を催ふと共に、御甌石には農具市を開市し遠近来り見る者堵の如く非常の盛況を極む、爾後毎年十一月初辰の日に催し、享保十五年寺久保宇佐八幡神社境内に移せり、上山村上分字川又黒松神社また卯市を開き、世にこれを上山卯辰の市と呼ぶ。

上山村(神山)の庄屋であった粟飯原氏を筆頭に始められた市。驚くかな他国からも力士を誘致し、100人以上集まった盛大な相撲であったとのことです。

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また卯辰市に際して三頭流という祭礼を催したとのことが伝えられています。三頭流はもとは祭頭流と云われ、鹿島神宮に伝わる特殊神事である祭頭祭と同じものであったらしいのです。

祭頭祭
祭頭祭は、元々は66郷の氏子が南北に分れ、左方・右方それぞれが五歳位の新発意を中心に行われます。色鮮やかな祭衣をまとった囃人が手に持った樫の棒を組んではほぐしながら神前へと囃しを奉納します。棒を激しく束ねるように打ち合わせて進む勇壮な様は、その中に力を凝縮させ五穀の豊穣と弥栄を願うまさに春の始めの鹿島立ち神事と言えます。祭頭祭は時代によってそれぞれの付会がなされており、神仏習合の江戸時代には新発意(出立)から常楽(彼岸)に至る「常楽会」とされ、明治になってからは五穀豊穣を祈る「祈年祭」とされ、昭和初期には当時の富国強兵の流れを受けて「防人の祭」とされました。いずれも「新たな出立」を意味しており、この祭りが日出づる東に位置し「出立・始まり」を司る鹿島の大神への古代信仰「鹿島立ち」を淵源としていることが伺えます。(鹿島神宮HPより)

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(ネットより祭頭祭の写真を拝借させて頂きました。)

 ちょっと、、、ここ最近神山町で盛大に催されている七夕祭に似てませんか???

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こちらもネットより七夕祭の写真を拝借させて頂きました。)

粟飯原氏に繋がりのある黒松八幡神社(卯)、宇佐八幡神社(辰)の卯辰市に、今鹿島神宮に伝わる神事があったとは非常に驚きです。

こちらに関してはちょっと不明な部分が多いので、鹿島神宮との繋がりも見つけたら改めて投稿したいと思います。