デジャブで勧請かよ⁉︎ 鳩の原八幡宮‼︎
承平四年(九三四)、阿波国の国司になった藤原国風が巡視する際に八幡大神の御前で白鳩が群れ遊んでいる夢をみたという。当地までやってくると夢と同じ光景が眼前に繰り広げられてひじょうに驚き、都より岩清水八幡大神の御分霊を奉迎し、二百歩四面を画して神域とし、神殿を建立して鳩の原八幡宮と称した。次いで治承元年(一一七七)桜間民部大輔が平清盛の命を奉じて藤原西光の一族を討たんと当地に宿営した節、出火により荘厳な社殿が焼失してしまった。その後、土御門上皇が当地に御座し給うときに御再建があり、応仁二年(一四六八)に細川氏が祭田を寄付して当国十社の中の一社とした。以来、社殿の旧朽も甚しく、文政元年(一八一八)の地震で破壊されたが後に再建した。
はい。それでは進めていきましょう。
前回同様、吉野町の鳩の原八幡神社です。定かではないですが藤原国風が勧請したとのことです。土御門上皇説もありますが個人的には国風説を推したいです。
さて、平安時代に阿波国司に就任した件の藤原国風(阿波介国風)とは、元慶年中の阿波介で藤原純友の乱の時、府中を焼かれて一次的に淡路に逃れたが、小野好古等の応援を得て純友を討った人物であります。また、その阿波介国風は武内宿禰の裔だったのであります。
以前に投稿した阿波国廃城考に「武内宿禰後胤 阿波眞人廣純是より十二代 阿波介国風」と記載されてます。武内宿禰の系譜によることからスムーズに八幡大神を勧請が可能だったのでしょう。いや、むしろ逆で阿波から行ったのかもしれませんね。(これは考証できる資料がないので邪推としますが… 苦笑)
あと、こちらも武内宿禰の系譜だとされている桜間民部大輔。民部大輔が鳩の原八幡宮を焼失させた際も往時の阿波国トップが自前で再建している意味深な神社が当社なんです。
いやいゃ、、、それにしても祖先建立の神社を焼失させたらあかんやろ=3 と思いますが、藤原西光に対し揺動として仕掛けた可能性も考えられ、これは神山にはさらに歴史が深い辰ノ宮:宇佐八幡が存在した故の対処だったのかもしれないと考えています。
という訳で鳩の原八幡神社とは??
その八幡大神とは??
田口氏が神山と石井桜間(あと勝浦町)の地域を統括していたことから、水上ルートだった吉野川沿岸部の当地に関係していない訳がありません。さらに遡れば粟国造粟凡直が板野郡を拠点としていた理由もそこに答えがあるのかも…
そしてここだけの話、、、
応神天皇、神功皇后、武内宿禰は、、、天日鷲命、大宜都比売命、大麻彦命(猿田彦命)を投影しているのではないかと考えました。(小さく薄く掲載しときます。。。)
いつもこの三神に集約する結論パターンでひじょうに申し訳ないですが、(別にアマテラス、スサノオ、ツクヨミの三神比定でもいいんです…(p_-) イイカゲン… )マヂでこちらも考えていますので、並行して八幡大神を調査していきたいと思いまーす。とりあえず鳩の原八幡宮。チェックですよ。(゚∀゚)☆