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awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

意祁と袁祁とで意袁祁島(鳴門市大毛島)

阿波の伝説 板野郡
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今回のテーマにある、意祁(おけ)王と袁祁(おけ)王の兄弟を知らない方もいると思われるので簡単な説明を掲載しておきます。
意祁王(のちの仁賢天皇)と袁祁王(のちの顕宗天皇)の兄弟は安康天皇3年に父の市辺押磐皇子雄略天皇に殺されると共に逃亡して身を隠した。
兄弟は履中天皇の血を引くことから履中天皇の腹臣たちを頼りにはりま、赤石やみきの志染の石室に隠れ住む。
兄弟共に名を変えて丹波小子(たにわのわらわ)と称し、縮見屯倉首(しじみのみやけのおびと)に雇われて牛馬の飼育に携わっていたが、清寧天皇2年に袁祁王(弟)が宴の席で王族の身分を明かした。清寧天皇は子がなかったため喜んで迎えを遣わし、翌年に意祁王と袁祁王兄弟を宮中に迎え入れた。
同5年、清寧天皇が崩じたときに皇位(王位)を弟王と譲り合い、その間飯豊青皇女が執政した。翌年に袁祁王(弟)が顕宗天皇となり即位したが、わずか在位3年で崩御
これを受けて意祁王(兄)が仁賢天皇元年1月に即位した。3年2月に石上部(いそのかみべ)舎人を、5年に佐伯造(さえきのみやつこ)を置いた。また、6年9月に高麗(こま)へ日鷹吉士(ひたかのきし)を遣わし、皮の工匠などの手工業者を招いたという。仁賢天皇の時代は国中が良く治まり、人民から「天下は仁に帰し、民はその生業に安んじている」と評された。

はい。ややこしいですが意祁と袁祁の兄弟(以下:オケ兄弟)は太古より竜宮伝説が残る地、竜宮島が出生の地なのです。

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この竜宮島とは阿波国風土記に「竜宮より上り来た竜宮のかめ(素焼きの大水がめ)と竜馬島に放ちあり」と記されていたのを知った蜂須賀家正が、自ら見物に出向いたと云われる阿波の名所。

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オケ兄弟が共々に天皇に即位してから、意祁(おけ)と袁祁(おけ)を組み合わせて、

袁祁(おおけ)島」

と呼ばれるようになりました。

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これが現在の鳴門市大毛島。

「意袁祁島(大毛島)」は島田島とわずかな裂け目で連なり、古代は竜宮島、さ(裂)けつ島とも呼ばれおりました。

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仁徳天皇の歌にもある「さ(裂)けつ島」。これは当地のことですよ。

おしてるや 難波の崎よ
出で立ちて 我が國見れば
阿波島 淤能碁呂島
檳(あじまさ)の島も見ゆ
離(さけ)つ島、見ゆ

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