awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

栂橋の古戦場と犬の墓(と、そばごや)

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一宇村古見地区には多くの名所旧蹟や古戦場があります。一宇では昔からお邸さんと呼ばれている旧家があり、ここの主人は代々天狗がついているという伝説があって実際に不思議なことが度々おこったそうです。
この旧家は南朝の忠臣であった小野寺一族で、天正十年阿波郡朽田五ヶ庄の地頭でありましたが、土佐の長曾我部元親の阿波国侵攻の戦いに破れて一宇に逃れきたと云われています。その後阿波藩主となった蜂須賀家に功績を残したことから、禄高百石と南の姓を賜ったそうです。

f:id:awa-otoko:20180109001229j:image(栂橋の古戦場)

天正十三年七月、豊臣秀吉四国征伐の折、脇城主 長曾我部新左衛門尉親吉が蜂須賀勢に追われて土佐に逃げ帰る途中に、一宇栂橋で待ち伏せして戦った場所が栂橋の古戦場であります。

なお、残余の敵を追い敵将 長曾我部親吉を倒し、以下重臣八名の首塚があるのが切越で現在八ツ塚大権現として祀られています。切越の地名も当初は大勢の人を切り殺したので、切殺名と云われていたようです。(おそろしや。)

f:id:awa-otoko:20180109001659j:image(看板裏の塚)

f:id:awa-otoko:20180109001324j:image(左側の地蔵尊は犬の墓にあったものを移動してきたっぽい。)

f:id:awa-otoko:20180109001541j:image(心霊スポットで紹介されている場所ですね。)

f:id:awa-otoko:20180109001618j:image(いつも同じこと言いますけど、遊びでヅカヅカ入ったらヤバイっすょ。 (塚だけに… ))

さて、看板に記載されているように阿波町大俣にある犬墓と同じく当地に「犬の墓」なるものが存在します。こちらの由緒は以下の通りでございます。

一宇村の山奥に高清左衛門という鉄砲の名人が住んでおり、左衛門はいつも愛犬を連れて山へ猟に入っていた。(この左衛門は上桜城主 篠原長房の次男 篠原松光が名前を変え、左衛門を名乗り、脇城主である稲田稙元に猟師頭を命じられ半田の高清(こうせ)に住み、高清と改姓して高清左衛門と呼ばれたと伝わる。)
ある日に高清左衛門は山奥へシカ狩りに出かけたが、妙なことに一日中走り回っても獲物一匹にも出会わなかった。腑に落ちない左衛門は川のふちで寝ることにしたが、急に愛犬がけたたましく吠え出したために左衛門は不思議がって周りを見たが、特に変わったことはない。そのようなことが数回あり、左衛門が三度寝かけると、今度は愛犬が着物の裾をくわえて強く引っ張りだした。左衛門は「これは、犬が狂ったに違いない」と思い、山刀で愛犬の首を切り落としてしまった。刎ねた愛犬の首は谷の向こうに飛び、潜んでいた大蛇に噛みついたのである。左衛門は鉄砲で大蛇を撃ち、大蛇は悶えながら川沿いの岩穴ん中へ逃げ込んだ。それ以降大蛇を見たものはいないという。左衛門は自分を助けてくれたのに可哀想に殺してしまったことを悔やみ、この場に犬の墓を建て地蔵を祀って愛犬の霊を慰めたという。

はい。どうも動物に例えている内容を人間で置き換えて考えてしまうawa-otokoなんですが、因果関係で考えれば長曾我部って物部(蛇)なんですよね。諜報活動をしていた者(犬)が犠牲になって討伐した栂橋の戦いを象徴しているように感じるのは私だけでしょうか。

f:id:awa-otoko:20180109001500j:image(切東家の墓地)
また、犬の墓は案内板にあるように切東家墓所にあったようですが、古戦場跡の塚の横に地蔵尊の石像とともに移動されているみたいですね。

 

さて、このようなちょっとミステリアスな場所なんですが、古戦場と犬の墓の看板の真横になかなかあじのある雰囲気を醸し出している食事処「そばごや」があるんですよ。

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11月には絶品な新そばが食せる店ですので、近くに寄る機会があればぜひ一度訪れてみてください。いりこだしの絶品そばを食することができますよ。

という訳で、古跡を紹介したいのか、そばを紹介した食レポなのかわからなくなってしまいましたが、、、夜も更けてきたことからこれくらいで締めたいと思います。ではまたね。(^人^)