awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

吉野五条祠は土成高尾 熊野の元社

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永禄元年(一五五八)に大旱魃が起り、七条城城主 七条兼忠が宮川内谷で雨乞いをした。ところがこの地域の宮川内谷川流域は年々水害が甚だしいために兼忠は五条城主 高志下野守、西条城主 西条監物と相談し、五条神社を土成村高尾の熊野神社遷座した。その後に五条村民が相談の上で元和二年(一六一六)紀州熊野神社速玉男命(速玉男)を奉還し、社号を田中神社とした。明治四三年無格社一二社を合併して五条神社と改称したのである。

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はい。吉野村編の第三弾目‼︎ 珍しく連続掲載しております。今回は五条神社でございます。

引用にある五条神社とは同地に構えていた五条城の鎮守祠、その五条城主が昔から祭祀していた祠のことでしょう。

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五条城については「高志下野守、姓源称小笠原又有右近、蓋其族也、其裔居五条(板野郡誌)」との記載が残されております。名西郡の一宮氏から分れた一党が高志氏を称し、応永年間に五条城に居城したとされます。

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この内容から五条城主の出自は小笠原源氏の流れをくむ一宮氏と判断することができます。一宮氏は粟国造粟凡直氏から大宜都比売命を阿波女神として祭祀する祭官家として成り代わったとともに、武家としては一宮城の鎮守として大麻彦神も祭祀していたことがわかっています。

その他には、高倉下が神武天皇に霊剣 布都御魂をもたらした伝承が残る土成 熊野権現に五条神社を遷座したのか… 奇しくも高志には天目一神社が残されており天目一箇神に付随して製鉄・鍛治の伝承が残されています。(高倉下: たかくらじ と 高志: たかし に接点が発見できれば… )

一宮氏による祭祀の秘密、そして古事記日本書紀の内容と阿波国との関わりは、阿波町吉野町、上板町の吉野川沿岸部(いまいち掴みきれない謎の地域‼︎ )にもヒントが隠されているのかもしれませんね。当地での土御門上皇と七条兼忠の動きも何らかの意図があったように思います。

ちょっと大きな事を書き過ぎてしまいましたか… もう少し調べてみても良さそうです。(゚∀゚)