柿本人麻呂の墓所
あまり知られていないのですが阿波には柿本人麻呂 所縁の神社が三社存在していました。
まず鳴門市里浦の「人丸神社」。これは以前に紹介しました。
海人 柿本人麻呂(里の蜑) - awa-otoko’s blog
次に吉野川上流の美芳野(吉野宮)と呼ばれた現在の加茂宮町に。現在は丸に一と書いて「⊖神社」。呼び名は「ひとまる神社」。こちらは持統天皇の行幸に度々付き添った際の伝承から建てられたものでしょう。
残る一社が相生町谷内に鎮座する「柿本神社」。
この「柿本神社」が鎮座する場所は古い地名では「島根郷谷内」でありました。(※ 柿本神社は現在、谷内地区の総鎮守である八幡神社になっています)
はい。そろそろ本題に進みましょう。(笑)
相生町谷内が「島根郷」。
柿本人麻呂の終焉の地で有力な説とされているのが、現在の島根県益田市(石見国)である。地元では人麻呂の終焉の地としては既成事実としてとらえ、高津柿本神社としてその偉業を称えている。しかし人麻呂が没したとされる場所は、益田市沖合にあったとされる、鴨島である。「あった」とされるのは、現代にはその鴨島が存在していないからである。そのため、後世から鴨島伝説として伝えられた。鴨島があったとされる場所は、中世に地震(万寿地震)と津波があり水没したといわれる。この伝承と人麻呂の死地との関係性はいずれも伝承の中にあり、県内諸処の説も複雑に絡み合っているため、いわゆる伝説の域を出るものではない。 その他にも、石見に帰る際、島根県安来市の港より船を出したが、近くの仏島で座礁し亡くなったという伝承がある。この島は現在の亀島と言われる小島であるという説や、河砂の堆積により消滅し日立金属安来工場の敷地内にあるとされ、正確な位置は不明になっている。(Wikipediaより)
しかし今回、相生町谷内を訪ねて考えが変わりました。
「鴨島(かもじま)」とは…
「加茂(かも)の島々(しまじま)」。ではないのかと。
調べてみるもんですね。(笑)