謎の神代文字:トホカミエヒタメ・スエキアワカミの幟
さて今回は番外編。
船盡神社に伝承されていた二本の幟(のぼり)を確認する機会がありまして…ちょっと調べてレポート書いてみました。(もちろん結論など出ているはずもなくこの点を考慮して読むなら読んで欲しいと思います。)
幟は長さ7メートル、幅約60センチ、二本とも木綿の布地を使用している。現状傷がはげしく各所に破損した穴を補修した箇所が見受けられる。幟には謎の神代文字が書かれているが船盡神社には幟に関する資料はほとんど残されていない。
(船盡比賣神社)
幟は100年に1度の周期でつくり替えられと仮定。神代の時代からであると数十回は作り替えられているだろう。現状の幟には修復した箇所には一字の抜けがあるという説ある。(後述)作り替える際は神代文字を理解しない氏子が総がかりで取り掛かかったため多少変形した文字として置き替えられたり、文字抜けも発生したのではないか。それが幾度となく繰り返されるうちに当初の文字とは全く違う文字になってしまったことが考えられる。
過去の新聞記事(上:写真)では日本古代文字研究家は、「スエカアワ(もしくはワ)カミ」、「クマ(ワ)カヤミ(イ)ヘフ」と読めるが意味は通じない。その他「朝鮮文字だが現在使われていない文字があったり、△が◯になったり、全く意味が通じない。音読みにすればカオアタヒ、クアカタイヘフ。何か宗教的な意味があるのでは」と推論している。
左:スエカアワカミ、右:クマカヤミヘフ
地元では「昔は意味が通じていたのに、何回も書き写すたびに字が変わり、趣が違ってきたのではないか。それにしても不思議だ。」と書かれている。
しかし、ソースは定かではないが船盡神社に伝わる神代文字の幟は「トホカミエヒタメ」「スエキアワカミ」と判読されると説く内容を見つけた。
著者 地中 孝 「神山の啓示録」である。
超古代に於いてエビス人と稲飯王が宝船で到着した最終地点を船盡の地とし、当時の神代文字が神社の幟として伝承されてきたもの他ならないとする。「トホカミエヒタメ」は稲飯王を讃える祈祷文、「スエキアワカミ」は事代主命としている。
確かに鮎喰川は太古の昔には水位が予想外に高く、帆掛け船が入っていたという伝承も聞いたことがある。また船盡比賣神社付近は高天ヶ原との境界線であるとも。
地中氏の説(幟の判読も含めて)についてはソースが定かではないため結論付けは出来ないがひじょうに面白い論ではあると思う。(出典が不明なので肯定してないけど。否定もしてない。)
そもそも神山町に神代文字が伝わっていること自体が素晴らしいではないか。是非とも幟を管理している船盡神社氏子間で解読して欲しいものである。(いろいろ解読に協力する研究者は声かけてたら出てくると思いますけど。)
という事で今回このような貴重な機会を企画していただきましたS様と皆様、そしてお誘いしてくれたG様、この場を借りてお礼申し上げます。ではでは。