awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

山城町岩戸の田尾城趾へ行ってきたぞ!!

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・:*+..:+ ハッピーメリークリスマス!!・:*+..:+

はい。全然クリスマスには関係がない山城町 田尾城趾でございます。

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田尾城は伊予川の右岸、標高四六二メートルの山頂に築かれた山城で南北朝時代に小笠原頼清が居城したと伝わります。

南北朝時代より後は、戦国時代には白地城城主であった大西一族の大西右京進頼信が拠っていたとされております。天正五年、長曾我部元親は大西上野介に手引きをさせて白地の大西覚養を攻め、この時に田尾城も落城したそうです。その後の経緯は不詳でありますが、遺構からみて長曾我部元親が改修して使用したもの考えられています。

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この時の名残りであるかはわかりませんが、田尾城の入り口の前には長曾我部元親・最前線指揮所が残されています… こんな城の入り口に指揮所を構えることが可能な戦況であったならば既に城は落ちていて、しかも用心深い長曾我部元親がこの場所まで出てきて指揮をとっていたことは考え難く… これはawa-otokoの予想ですが元親軍に城から引きづり降ろされた大西右京進頼信らを捕縛、または打った場所ではないかと。(現在は地神塔を置いていますが、本来台座の上には祠が乗っていたと推測します。)

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田尾城趾は阿波山岳武士の拠点とされていた重要な城跡で現在でもその遺構を確認することができます。前回投稿した一宮城趾よりも白兵戦を想定した城の構造、要するに遺構が確認しやすく、城好きの方には大変おすすめしたい古跡なのです。

f:id:awa-otoko:20181224011620j:image(入り口ですぞ。)

それではさっそく進めてまいりましょう。

田尾城は南北二城で構成されており、南城がやや高く周囲に土塁を巡らして南側に虎口(城門跡)があります。頂上に誘導する山道は傾斜がきついところですが、さまざまな遺構の復元品とその説明板で登る者の疲れを認識させません。(やるな!!)

f:id:awa-otoko:20181224005218j:image(もがり)
f:id:awa-otoko:20181224005228j:image(切り堀)
f:id:awa-otoko:20181224005209j:image(逆茂木)f:id:awa-otoko:20181224005223j:image(狭間)
f:id:awa-otoko:20181224005214j:image(柵w)

やはり入り口の指揮所跡のように一部時代背景にそぐわない復元物がありますがスルーしますね。

10分もあるけば山頂です。

f:id:awa-otoko:20181224010210j:image(南城跡地)

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南城の北側には三条の空堀がありますが、これが長曾我部元親の築城の手法だそうです。この遺構によって長曾我部元親が使用していたと考えられているということですね。

f:id:awa-otoko:20181224010330j:image(山頂の天神社)
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空堀の前には天神社が鎮座されております。(小さいながらも存在感ある祠。)天神ですけど、だいたい城趾にある祠は歴代城主を祭祀した祠ですよね。ここの場合は小笠原源氏関係を祭祀しているのでしょう。

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だいたい入り口から山頂までの写真で雰囲気を掴めましたか?

山頂の南城跡地に行くまではまるで自分が南城を攻めているかのような錯覚にとらわれます。傾斜がきつく狭い道であるため横一列で進むことはまず考えられません。縦に進むことを余儀無くされるため縦一列の蟻の進軍を止めるかのような戦術で防戦するように想定された城造りがわかります。(私なら素直に真正面から侵撃せず、単独で側面から登って白兵戦へ持ち込みます。)

 

今回なぜawa-otokoは田尾城跡地に赴いたのか…

白地城跡地を確認、大西神社も参拝していたので田尾城もみておかないと!というノリ。(悪ノリともいうw)

そして、その他には四国の要害の地である白地城の裏鬼門にあたる、あの犬神落しで有名な賢見神社。さらにその賢見神社の裏鬼門にあたる田尾城の位置に大きな興味が湧いたのが本当の理由なのです。

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それは後々の考察に必要になる(ならんでしょ…)可能性を秘めた場所であったからですね。ご察しの通り収穫はありませんでしたが。。。。

ちなみに三好郡山城町の地名はこの田尾城が存在した故に作られた地名。大歩危小歩危・祖谷に寄られた日本史好きで古城好きなあなた、ぜひ田尾城趾へ足を運んでみては?山深い場所でアクセスも大変ですが一気に南北朝、戦国時代にタイムスリップできる場所ですぞ。おすすめです!!