☆★☆剣山山頂大祭だぜ★☆★
その昔は女人禁制の掟が固く守られていた剣山。錫杖や法螺貝を持つ先達に連れられた白衣の講組が六根清浄を唱えながら山崎から種野峠・燧峠を越えて二泊三日で登山していました。現在は穴吹・貞光からふもとまでのバスの便があり、夏季には貞光から見ノ越まで登山バスの便でリフトを利用すれば駅から三時間ほどで頂上に登ることが可能です。
さて、そんな剣山ですが来たる明日7月23日山頂大祭が開催されます。今年は良い天候にも恵まれそうで参加する方も多いと思われます。という訳で今回も剣山にまつわる(ベタな!)伝承を紹介したいと思います。
木屋平に残されている伝承として塔の岩に安徳帝が御剣を奉納し、天下平定を御祈願あそばされたと云われるものがあります。大剣神社の後ろに聳える塔の岩は、その昔鋭い剣のごとく天空を刺すような形状をしていたそうです。そもそもこの塔の岩が当山の御神体だったと云われているのは有名ですよね。
八〇〇年の昔、安徳帝は塔の岩に御剣を奉納すると長い時間お祈りを捧げられたといいます。もちろん当時は祠や社もなかったはずなので岩の裂け目、もしくはくぼみにお供えしたのでしょう。古書には「雨や風にさらされても少しも錆びない霊剣であった。」と記載されていることから、埋めたものでもなく、また建物を建ててお納めしたものでもなさそうですね。
後ほどに祠を建て、その中にお祀りしたということですが(これが大剣神社の前身になるものでしょう。)、江戸時代末期に不心得者が奉納していた御剣を盗み取ったことがあったそうです。ところが、その盗人は夜な夜な奇怪なできごとに悩まされ恐ろしくなった盗人は御剣を返却したということです。しかし、これを期に御剣の所在はわからなくなってしまったのでした。
御剣は盗難が再び行われないようにとても警戒しながら厳重に保管しているようです。関係者が御剣の所在を明言、記録することなく、しかるべき場所に保管したようです。
御剣はそのまま大剣神社に保管しているのか、過去記事にも書いたように円福寺が所有するのか、それとも◯◯◯に置いているのかは今なおわかりません。(剣山大祭では御神体である御剣を直接人の身にああてて邪気を祓う「御神剣加持」を行って貰えますが、錦の布に覆われているため中身はわかりません。)(地福寺に保管してあるとされる御剣は門外不出、閲覧さえも禁止。過去に学習雑誌に掲載されたことが一度だけあるという。)
その他には祖谷に逃れた平家の落人が再起を期して馬術の訓練をした平家の馬場。その前には平家の軍用金埋蔵場所の目印とされていると伝えられる宝蔵石があります。
ご存知宝蔵石の真下にはステンレスの鳥居で有名な宝蔵石神社が鎮座しています。大祭の神輿渡御にはこの大祭のために宝蔵石神社に上げてこられた御神体を神輿に収納し、急坂を駆け上がり、平家の馬場から山頂までを途中で神事を行いながら練り歩くのです。まさにこれは「平家の軍資金(もしくは皆が大好きな◯◯ク)」を剣山に持ち運んだ様子を模して神事と絡ませているようにしか見えないのは私だけではないでしょう。そんな八〇〇年(もしくは太古の昔)からの貴重な行事に参加しない手はございません。
最後に…
大祭に関係ないですが宝蔵神社で購入できるオススメのアイテムがございます。(祝詞じゃねぇっすよ。)◯◯の◯の◯◯で◯◯られた「◯◯◯◯」です。
社務所で扱うアイテムの中では少々お高い価格設定ですが、なかなか良いものだと思います。在庫も限りがあると思われますので、何であるのかがわかったうえで興味がある方、もしくはそういうの好きだわ。という人は購入してみてはいかがでしょうか。(ちなみにawa-otokoは宝蔵石神社関係者と繋がりは一切ありません。上記◯◯◯◯のオススメは社務所営利に寄与する目的ではざいませんのでそこんとこよろしく。)個人的にはあまり言いたくない情報だったのでモザイクかけてるくらいですから。。。
剣山山頂大祭の参加、御神剣加持、秘密のアイテム。この三つをクリアーすれば、一年間は御利益あること間違いなし!?
あと、この大祭の◯◯◯を見ていれば御剣、もしくは平家の軍資金(もしくは◯◯ク)の場所のヒントが隠されているかもしれませんよ。
それでは大祭に参加する人も参加しない人も、剣山の神からの御利益がありますように。See you soon. ( ´θ`)ノ