awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

安徳帝は八岐大蛇の化身 矛立神社の蛇神とは?!

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八百年もの昔、源平の合戦に敗れた平家の武将と安徳天皇平家物語では最期を覚悟して神璽と宝剣を身につけた祖母・二位尼平時子)と共に壇ノ浦の急流に身を投じたとされています。そして安徳天皇崩御したとされてから、以下のようなことが世間では噂されたのであります。

昔出雲國肥の河上にて素戔烏尊に切り殺され奉し大蛇、靈劍を惜む志深くして八の首(かしら)八の尾を表事(へうじ)として人王八十代の後、八歳の帝(みかど)と成て靈劍を取り返して海底に沈み給ふにこそ。

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平家物語」では、八頭八尾の八岐大蛇は、人王八十代の安徳天皇となり、八歳の時に天叢雲剣を取り返して海底に帰っていったとし、「愚管抄」では安徳天皇平清盛の請願により厳島明神(厳島神社)が化生した存在であるから龍王の娘であり、海の底へ宝剣と共に帰っていったのだろう」としています。

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こちらについては安徳天皇を大蛇や龍の化身としていることから平家一門(安徳帝も含めて)は、蛇をトーテムとする古代海人族の何かを強く継承していたなどと考えられないでしょうか。(ちょっと考えが飛躍し過ぎだな。笑)

また、安徳天皇は壇ノ浦で入水せず、平氏の残党に警護されて地方に落ち延びたとする伝説があります。拙ブログ記事でも過去に紹介したように、壇ノ浦にて海戦を繰り広げられる前に讃岐屋島の合戦の戦況不利から今後を見越し、讃岐山脈を超えて阿波の三好、木屋平、祖谷に落ちのびた伝承が残されているのであります。

 f:id:awa-otoko:20170620213709j:image(落合峠)

 f:id:awa-otoko:20170620213630j:image(落合集落)

名より名に出づるには山又山、谿(たに)又谿を超えざる可からず、谿川の大なる者二ツ蔓橋を架すること八ヶ所、其他見る目も危き柴橋、獨木橋を架して、僅かに小徑を通すのみ、地既に斯くの如きを以て保元、平治の騒亂より養和、寿永の役に至るまで、敗将残卒の生を偷むものは逃れ来りて隠捿し、山幽に水清き所に於て終焉せるもの多かりき、故に其民は源平藤橘何れかの武士の裔ならざるは無く、門地ある者を名主に仰き、其の命聴きて団結一致し、堅く小天地に割據する事恰も支那春秋列国のそれにも似たり、故に俗勇強を貴びて絶へて他郷と交らず、自尊自大頑として己を抂ぐることを爲さず、されば細川、三好の盛を以てして能く是れを服するは能はず、長曾我部の強を以てして猶ほ是れを従ふる能はざりき、又土豪の多くは正平中の綸旨執達狀を傳ふ、其王事に勤めて細川氏(足利尊氏に黨せる)に抗敵せること想ふべし、蜂家の封を此國に受くるに及び一大果断の下に壓抑を加へて再び起つ能はざらしめ、爾後良民と化して明治の聖世に至れり…(明治期の東西祖谷村の紹介より抜粋)

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隠遁場所として行き着いたのは山深き秘境である阿波国の祖谷。まずは平国盛が祖谷を平定し、別に移動した安徳天皇木屋平で匿われてより祖谷に迎えられたそうです。(この他にも諸説あり)

f:id:awa-otoko:20170620233358j:image(御塔石)

安徳天皇は自ら剣山に赴き、もはや運命共同体であった平家一門のために武運長久を祈り御剣を御塔石の下へ納めたと伝わります。

剣山に宝剣の奉納を終えた安徳帝の一行は、落合集落の傍らに清水が湧く清らかな場所を見つけて休息されました。その時に従者は安徳帝をお護りする尊い御矛を丁寧な敷物を敷いてから岩に立てかけたそうです。この矛は帝をお護りする尊いものであったので土地の人達はこの岩を「矛立石」と呼び、この岩の根元に祠を建てて神酒をまつり、くさぐさのお供えをし、神官を招いて「矛立神社」として祭祀するようになりました。

f:id:awa-otoko:20170619232327j:image(矛立岩 全景)

f:id:awa-otoko:20170619232519j:image(矛立岩 部分撮影)

f:id:awa-otoko:20170619232736j:image(住宅の居住地範囲なので奥まで進入して祠を撮影するのは控えました。)

この矛立石がある場所は、昔から久保名と落合名を結ぶ重要な交通路。とてもきれいな清水が湧いていた場所であったそうです。残念ながら落合小学校から坂道を登った公営住宅の敷地内(旧落合小学校のグラウンド跡)になってしまっており、現在は見る影もございません。(埋め立てられた模様… )

そんな矛立岩(矛立神社)には、いつの頃からか蛇神に守られているという伝説も付け加えられました。それは安徳天皇が八岐大蛇の化身、もしくは龍王の娘という伝承から蛇神祭祀となっているのかはわかりません。ただ蛇は矛立神社が祀られた昔から住み着いていたとだけ伝承されているのであります。

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さて、その他に気に掛かるのは、八岐大蛇として取り返した宝剣(天叢雲剣)をなぜ素戔嗚命(剣山大権現)に戻(奉納)したのかということです。そして剣山大権現に宝剣を奉納したのち、厳島神社から取り寄せたと云われる宝矛を後生大事に扱ったということです。

f:id:awa-otoko:20170621195515j:image鉾神社

f:id:awa-otoko:20170621195651j:image(鉾杉)

(平国盛が夢のお告げに従い、佐伯織之を厳島神社(宮島)に遣わし、御鉾を拝領して国盛へ渡している。国盛はこの鉾を御神体として鉾大明神を建立。織之の次男・清高を鉾神社の神主として代々受け継がれている。)

これら安徳天皇と平家一門の動きが古代からの神々の因縁、もしくは関係性に沿って導かれたものであるとすれば、とても面白い内容であると思います。

f:id:awa-otoko:20170621193158j:image(栗枝渡八幡神社

f:id:awa-otoko:20170621193310j:image安徳天皇火葬場)

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今回は各伝承を寄せ集めて考えた内容ですので、カテゴリーとしては番外編としております。ただ剣山の例祭には忌部信仰と平家が大きく関わっております。

f:id:awa-otoko:20170621194237j:image(剣山例祭中は平家の赤旗に埋め尽くされます。)

その他、歴史が古い厳島神社の祭事も併せて考えれば、特異点が見いだせるような気がします。(あくまで気がするだけな。笑)

それにしても安徳天皇が八岐大蛇、龍王の娘の化身とは。めちゃめちゃ気にかかる内容やなぁ。。。誰か関連性を調査してみてください。(´-`).。oO