千波足尼(ちはのすくね)。名前の由来
(栗生野)
国造本紀に云う粟国造とは、軽島豊明の帝[応神天皇]の御世に高皇産霊尊の九世の孫の千波足尼を国造に定められたとあります。
粟国造である千波足尼(ちはのすくね)ですが、とある書にて名前の由来が明記されていましたのでここでご紹介致します。(о´∀`о)ヤッタネ‼︎
祖系ニ此名ナシ。按ニ古へ人ニ別名有ヌ可シ。亦千波ハ地名ニテ其地ニ住ミシ故エ別ニ本名ハアレトモ千波足尼ト云ヒシニモアラン。
国造屋敷ノ傳へアル栗生名ノ近辺ニ「千野名」アリテ由アリシ也。尚考フ可シ。千野ハ柚宮八幡宮ノ大般若経第十七巻奥書云平時嘉慶ニ年𡻕次戊辰楼鏡廾九日於大粟山千野坊◻︎海書寫畢云云トアル地ニテ古キ地名也。今坊ハナシ。
(栗生野の御墓)
粟国造本館があった栗生野の近くに「千野(ちの)」という地名が存在していたらしく、その「千野(ちの)」より「千波足尼:ち(は)のすくね」と引用されたと記されています。
なんかくるしい言い訳のような説明にもとれますが、まぁひとつの手がかりとして受けとめて貰えればありがたいですね。(^人^)
阿波と安房の由来は「粟」。
千波足尼と千葉は「千野(ちの)」から… かもしれないですね。