awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

真説⁈ 膳・椀 貸し穴の伝説

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近世以前の日本では、家に家族に必要な数以上の食器を持たなかったため、婚礼など人数が集まる催しの際に余所から膳や椀を借りるという状況はしばしば発生した。

貸してくれる相手は童子や河童、龍、お地蔵様や例のように正体不明であったり様々である。貸してくれる場所は淵や滝、岩や山陰の洞穴、隠れ里に直接取りに行く場合もあり、やはり様々である。比較すると水に因む場所が多く、水神少童譚や水神信仰との関連が考えられる伝説も多い。物語には既に膳椀を貸してもらえる関係ができている場合や、椀が川の上流から流れてくるなどして異界や隠れ里を発見する場合もある。

この伝説には、不心得者が返さなかったとされる椀や、反故にした証文などが残っている家や地域がある。それらの品々の中には木地師との関係を伺わせるものがあり、木地師との交易の際に聞いた口上が伝説になったという見方がある。また、膳椀を村の共有財産としている地域では、借りたものを盗むな、壊すなという戒めを含んだ説話であるという見方もある。(Wikipediaより)

全国的に分布する「膳・椀 貸し穴伝説」。当然ながら阿波にも同様の伝説が残されており、板野郡 岡上神社の塚穴、三好郡 秀森の塚穴なども伝説が残されています。

客事があるときに村人が膳と椀を借りにいき、「明日◯十人前お願いします。」と頼んでおくと間違いなくそれだけの膳と椀を用意してあった。用が済めば「ありがとうございました。」といって返せばよいのでことあるごとに利用した。しかし、不心得者がいて借りたものを返さなかったので、それ以来貸してくれなかった。というのが決まった顛末なのであります。

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そのような「膳・椀 貸し穴伝説」。私が初めて耳にした時はこんなフィクション、何から創作したんだと特に気にもとめずにスルーを決めこんでいましたが、とある関連からいろいろ調べてみると、とても興味深い内容が出できたのでした。

 

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昔、第五十五代文徳天皇の第一皇子である惟喬親王の遺民たちは天皇器地祖神神社の神人氏子として、東は駒のひずめの通うほど、西は櫓・櫂のたつほどに日本国中諸役御免の綸旨を笠に、天皇器地祖神神社の菊花御紋章入りの絵符提灯を振りかざし、諸国の森、官司の別なく、思うままに樹木を切り取り、膳や椀を造っていました。これらの人々を木地師木地屋)と呼び、古墳内を利用し、隠里として使用していたのであります。だからこそ膳や椀を貸すこともできた。つまり石室は木地師の工房、住居として機能していたのです。

 

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木地師とは9世紀に近江国蛭谷(現:滋賀県東近江市)で隠棲していた小野宮惟喬親王が、周辺の杣人に木工技術を伝授したところから始まり、日本各地に伝わったと言う伝説がある。 蛭谷、君ヶ畑近辺の社寺に残っていた『氏子狩帳』などの資料から木地師の調査、研究が進んだ。

木地師は惟喬親王の家来、太政大臣小椋秀実の子孫を称し、諸国の山に入り山の7合目より上の木材を自由に伐採できる権利を保証するとされる「朱雀天皇の綸旨」の写しを所持し、山中を移動して生活する集団だった。実際にはこの綸旨は偽文書と見られているが、こうした偽文書をもつ職業集団は珍しくなかった。綸旨の写しは特に特権を保証するわけでもないが、前例に従って世人や時の支配者に扱われることで時とともに実効性を持ち、木地師が定住する場合にも有利に働いた。

木地師は木地物素材が豊富に取れる場所を転々としながら木地挽きをし、里の人や漆掻き、塗師と交易をして生計を立てていた。中には移動生活をやめ集落を作り焼畑耕作と木地挽きで生計を立てる人々もいた。そうした集落は移動する木地師達の拠点ともなった。 幕末には木地師は東北から宮崎までの範囲に7000戸ほどいたと言われ、 明治中期までは美濃を中心に全国各地で木地師達が良質な材木を求めて20〜30年単位で山中を移住していたという。(Wikipediaより)

木地師は古墳などの塚穴の他に木材が豊富にある奥深い山中でも生活をしておりました。阿波では木地師の活動が盛んであった六郎山。すなわち轆轤山などが有名。「阿波志」に「轆轤山、坂本村にあり。上に経塚あり里民これに雨乞す。また通夜石あり、俗に伝ふ釈空海弘法大師)跌座の所。この地霜降らず、蛭人をすはず」とあります。

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定住せず山野市町に漂泊する人々。歩き筋とも呼ばれる彼らは、木地師の他にも行者、山伏、聖、毛坊主、御師、巫女、比丘尼、遊女、猿回し、傀儡子、人形回し、万歳、タタラ師、マタギ、サンカ、博労、杜氏などがおり、それぞれ特異な生業者技術をもって遍歴しながら体得した知識や情報を閉鎖性の強かった定住者社会にもたらした文明の伝播者だったのは云うまでもありません。
今回、阿波における木地師と神との繋がり(のヒント)を見いだすことができましたが、現実資料が少ないのでまとまった証拠を入手してからご紹介したいと思います。(ヒント:木地師のルーツにかかわる小野氏。新田一族は小野氏と関連あり。)


とりあえずプロローグとして「膳・椀 貸し穴の伝説」の正体を暴いてみました。今後、この続きがあるかどうかは気分次第でございます。まだまだ優先して書きたいことは山ほどあるしね。何から書くかは乞うご期待。

それでは今回はこのへんで。。、、、