鶴亀石(剣山山頂 つるきいし)
久しぶりのブログ更新です。(笑)
お盆休み前にはちょっと大ネタを探っていましたが物的証拠が得られないままとなってしまい、少しブログからは遠退いていた訳なんですが…(八割は抑えているので近日中にお披露目できるかも)
そんなこんなで大ネタの方は急がば回れで後回しにし、お盆休みにはまたまた剣山に登って心身共にリフレッシュして参りました。
麻植郡木屋平の山の奥、川上名といふとこにある劔山の前神 劔権現は、一に藤池と言はれて、小さい宮と、神秘の影射す池とを持ってゐる靈地であるが、此の劔権現に参詣して、それから劔山に登れば、きつと、大劔山の御神體の中に、劔を拜し、又は、四足の小祠(これは大劔山の頂上から西の方、祖谷山の地に踏み下りて、十四丈の立岩の下にある)の中に、劔を拜む事が出来る。
普通の参詣人は、多く、此處から先へは、行かないのが常である。道程からだと小劔山(木屋平山の奥、川上名の内)に登り、それから、直に、大劔山(劔山は麻植、美馬、那賀、海部の四郡の絶頂にあたりをり、何方からも登れる高山である。そのうちの大劔山は、美馬郡菅生山のうちである。)で、前神からは三里餘だが、行くに道無く、人跡稀で、篠笹生い繁つた平山押分けて、ただ目当の山を知るべに登らなければならない。(登山期は四月より八月までを限る。)ので、なかなか厄介である上、此山に登る人で、悪心深い人だとか、大精進悪い人は、山神の祟があつて、きつと災難を受けるといふので、殊に登山を怖れられてゐるのである。悪心の者で祟などいふ事を嘲弄した強性者で、漸く山頂に着いたと思った時、神風に八つ裂きにされてしまつた者があつたとさへ言い傳へられてゐる。
(日本傳説叢書 阿波の巻より)
とりあえず引用した文章は富士ノ池 剣山本宮をメインに書いたものですが今回は時間が勿体無いので、いつものように見ノ越からリフトで西島駅まで15分で楽々到着ルートで行って参りました。
(富士の池から剣山頂上まで徒歩登山したら最低3時間は必要なのだ☆)
今回の目的の次郎笈頂上の登頂。
(次郎笈)
だってこんなにきれいだもの☆
ほんとはそれだけではなく剣山(太郎笈)の磐座を次郎笈から確認するのが密かな目的でした。
さて、太郎笈山頂付近には剣山(つるぎさん)という名前の由来である鶴石、亀石が存在するのをご存知でしょうか。
鶴、亀合わせて鶴亀山(つるきさん)。
(御塔石)
これはまさに大剣神社背後にその圧倒的な存在感を放つ御塔石が石立山という名前の由来なのではないでしょうか。御塔石は風化が進んでおり、古はもっと上に高く聳えていた形跡がみられるように、まさに剣を立てたような状態で聳えていたと思われます。
(御塔石下 御神水)
個人的には安徳天皇が御剣を奉納したのも御塔石の下であると考えてます。だって大劔の御神体も劔だったって書いてるでしょ。
話を戻します。
とりあえず面倒くさいですが俯瞰的に鶴石亀石を次郎笈から確認したかった訳なんです。
次郎笈頂上に到着。
美しさを間近に確認して太郎笈に戻ります。
もちろん太郎笈頂上付近の古来からの道(跡)と磐座の位置を確認しながらです。
(太郎笈)
太郎笈頂上に戻ると東側テラスで弁当を食し、ひとまず昼寝 。。。(体力回復は必須!)
昼寝から起きたらミッション開始です。
雲海荘の近くの脇道から笹を掻き分けながら進むこと約10分。鶴石、亀石が確認できます。
これはあえて書かせてもらいますが、この道は敢えて通らせないような意図を感じさせられる道です。頂上付近の登山道のように整備されておらず、腰の位置に近い笹を掻き分けながら、そして当然のように足元は確認できず転倒し、来た道がわからなくなります。
即ち、鶴石、亀石付近には行かせたくない意図が感じられるのです。
(鶴石、亀石を指すと思われる案内板)
かなり昔の表示板がありますが錆びてわかりません。
たぶんこれは鶴亀石を指していたものと思われます。さらに朽ちた表示板が無惨に放置され…
(鶴石と亀石)
あとは鶴石、亀石、御塔石の位置関係ですね。
これはあまり触れたくはありませんでしたが失われたアーク(聖櫃)、イスラエル関係の話もなきにしもあらずかもと考えてしまいます。(笑)
と、まぁここからは深く追求しませんが、要は剣山は天皇のルーツのさらにルーツの舞台であったかもしれないということですね。
あんまりこの話を追求しても何なんで今回はこのへんでお開き。
最後に。あぁ、やっぱり剣山は美しかった。
また秋になったら剣山に登ります。
いや、次こそ富士の池 剣山本宮参拝かな。