美保の姫神(富田八幡神社、瑞巌寺、天神社)
風速の 美穂の浦みの 白つつじ 見れどもさぶし 亡き人思へば
風早の 三保の浦わを 漕ぐ舟の 舟人騒ぐ 波立つらしも
風速の三穂の浦廻(うらみ)、風早の美保の浦曲(うらわ)。美保の崎に祀られていた神は風の強い美保の崎を廻った場所に鎮座していました。
八幡祠 富田山麓に在り、三保射枳神を以って合食す、采地二十石、蕉隠谷の下に在り、慶長七年瑞巌寺を置く因て之を移す、祝河野氏、甚左衛門に至り移りて掃除街に居る、故あって亡す、麻植郡早雲氏之に代る(阿波誌 巻之二 城府 祠廟の項)
美保崎神が隠谷の神と同じ神官により祀られていたこと。そして謂津(眉山の麓)に突き出した岬の神とは現在の天神社周辺以外に考えられません。
はだ薄 久米の若子がいましける 三穂の石室は 見れど飽かぬかも
万葉集にも歌われた美穂の窟(石室)とは天神社境内に鎮座する姫宮。
そもそも、この天神社は菅原道真を祭神として祀っていません。
その他の天神社にも言えることですが…
また天神社については別テーマでぼちぼち書いて行こうと思います。