天香具山と千代の松原(小松島市)

やまとには 群山あれど とりよろふ 天香具山のぼりたち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ えまし国ぞ 秋津島 倭の国は
この歌の情景は奈良大和の香具山では一致しません。



ここ、阿波の日峰山からは紀伊水道の海原や徳島平野の国原が見えて、地名も籠山、外籠山、籠、外籠、大神子、小神子、千代ヶ丸が残っています。



千代ヶ丸の由来は、斉明紀四年五月条にみられる「萬歳千秋の後に要ず朕が陵に合せ葬れ」によると考えられ、舒明天皇の田中の宮、岡本の宮、斉明天皇の岡本の宮は日峰山の南に広がる景勝地である千代の松原の域内にあったと推定することができるのです。
ちなみに田中の宮の字が逆になって中田(ちゅうでん)になったという伝承もあります。
近くに豊国神社もありますよ。。。



ちょっとボリュームが少ないのでオマケ。
千代の松原からほど近い小松島市赤石町赤石には豊浦神社が鎮座します。
この神社は推古天皇の豊浦の宮跡。
推古天皇は豊浦宮と小治田宮に住居しました。
小治田宮跡は現在の徳島市田宮町の天神社。(これはまた今度。)