awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

入水した媛の名残り(海正八幡神社•橘神社)

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(右:海正八幡神社と左:橘神社
 

阿南市橘町大浦の海辺に面した大きな厳山、通称「亀の森」の中に鎮座しております「海正八幡神社」と「橘神社」。

かつては並んで鎮座する山裾を波が洗っておりました。
 
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古文書に「橘宮」「海八幡宮」「橘八幡宮」として記述され、万寿年間(1024〜28)に新羅三郎義光が桑野保内原に建立した橘八幡宮を、1269(文永6)年、当地に遷宮しました。
 
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織原、成松一族の氏神であり、桑野保との繋がりは強く、代々織原家が神官をつとめ、祭祀の執行は成松家が行っております。
 
 
さて、この神社。真偽の程は定かではありませんが日本武尊の妃である弟橘媛(おとたちばなひめ)に繋がりがあるという説がございます。
 
 

日本武尊弟橘媛の皇子関連はこちら↓

中王子は長王子?(石井町 中王子神社) - awa-otoko’s blog

 

 

 夫である日本武尊関連はこちら↓

日本武尊の本陵(白鳥神社) - awa-otoko’s blog

 

 
 
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弟橘媛の入水)
 
弟橘媛日本武尊の東征に従い、海神の怒りを鎮めるために荒れる海に飛び込んで亡くなりました。
そこから(東へ)入ってお行きになって、走水の海峡をお渡りになる時、その渡の神が波を起こして船をどうどう巡りさせ、進み渡ることができなかった。そこでそのお后の弟橘媛ノ命が「わたくしめが、御子様にかわって海の中に入りましょう。御子様は遣わされたまつりごとを遂行して、(生還して)ご報告なさいませ」と申し上げて、海に入ろうとする時に、菅の敷物八枚、皮の敷物八枚、絹の敷物八枚を波の上に敷いて、その上にお下りになった。するとその荒波が自然に凪いで、御船は進むことができた。
そして、七日後、そのお后の御櫛が海辺に流れ着いた。そこでその櫛を取って、御陵を作って納めた。
 
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海を正し直した、そして弟橘媛の行為を含めて「海正」と名付けられた神社でなのであります。
弟橘媛は讃岐の出身の人らしいので、当地阿南市「橘(たちばな)」の出身説は適用できませんが、入水した場所から「橘」を取って偲ばれたのかもしれませんね…
 
あぁ、今回の考察も薄っぺらいですが、これ以上深く追求する体力が休み明けで見当たらないのでこれにて終了。
また体力がある時に大ネタ持ってきます。(苦笑)