阿波に存在した「淡海の大津宮」
さて、突然ですが天智天皇が造営した淡海の大津宮とはどこにありますか?と質問するとしましょう。
と答える方がほとんどでしょう。通説ですからね。
往古、古津上山(こずかみやま)•古津神浦と呼ばれ、阿波第一の名勝と称えられた古代の泊(とまり)が現在の鳴門市撫養町木津(きず)です。
木津上山の金比羅権現及び、その別当寺である長谷寺周辺が雄略天皇こと大泊瀬幼武(おおはつせわかたけのすめらみこと)の「長谷(はせ)の朝倉宮」及び、天智天皇の「淡海の大津宮」なのです。
(木津 金比羅権現)
説明します。
まず「泊瀬」とは舟泊まりができる場所。
「後拾遺雑五」にて「阿波守に成りて又おなじ国にかへなりて、下りけるに、こづかみの浦と云ふ所に浪の立つを見て詠み侍りける(藤原基房)」とし、長元二年(一〇二九)基房が二度目の阿波守になったときに、「木津神の 浦に年経て よる浪も おなじ所に かへるなりけり」とあります。
(金比羅権現 拝殿内)
また「泊瀬(はつせ)」は「長谷(はせ)」とも繋がります。
次は「淡海」で説明します。
近江=「淡海」とされていますが、これは後世の解釈によって踏襲されているだけ。
本来、「淡海」とは「阿波海」のこと。
本居宣長も、「あふみ(淡海•近江)は「阿波宇美(あわうみ)が切(つづ)ま」ったものと説き、また記紀にみえる淡洲(あわのしま)、阿波国(あわのくに)、淡島•阿波島(あわしま)の用例や、淡路島の名の由来が阿波への道(阿波に至る途中の島)の意味で「阿波海」が「淡海」に表記されたと考えて間違いないでしょう。
鯨魚(いさな)取り 近江(淡海)の海を 沖放(さ)けて 漕ぎ来る舟 辺(へ)付きて 漕ぎ来る舟 沖つ櫂(かい) いたくなはねそ 辺つ櫂 いたくなはねそ 若草の 夫(つま)の 思ふ鳥立つ
ここで歌われている「いさな」とは鯨の古称。鯨が滋賀県大津に隣接する琵琶湖に生息しているのでしょうか。
ここの「近江(淡海)」とは紀伊水道の「淡海(阿波海)」なのです。
いかんいかん、、、「淡海」の説明で熱くなりました。
(全て長谷寺の境内にあるもの)
今後、お間違いなきようお願いしますね。(笑)