皇極天皇 雨乞いの場所(速雨神社)
天豊財重日足姫天皇(あまのとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)とは皇極天皇。(斉明天皇 (皇極天皇と同一人物))斉明天皇 - Wikipedia
皇極天皇は多家良町で生まれた海人族系の姫ということがわかりますね。(帶:たらし= ふんどしの意、上位の海人族)
日本書紀皇極元年八月条では…
「天皇、南淵の河上に幸(いでま)して、跪(ひざまつ)きて四方(よも)を拝む。天を仰ぎて祈(こ)ひたまふ。
即ち雷(いかづち)なりて大雨(ひさめ)ふる。遂に雨ふること五日、溥(あまね)く天下(あめのした)を潤す」
とあり、南淵の河上とは勝浦川の支流である八多川(はたがわ)と考えられているんです。(阿波の一部ではね)
そして皇極天皇が雨乞いした場所は、式内速雨(はやあめ)神社が鎮座しているのであります。Google マップ
由緒
近くに式内社が二社あるのは、中央の豪族海犬飼氏の領地 であったことが考えられる。
すでにこの頃から自生していた楠も、現在では天に届くほ どの神木となっている。
「阿波志-江戸後期・文化一二-一八一五」に「速雨祠 延喜 式亦為小祀在八多村雨宮里水田中金龍寺管之」とあり、水田の中に在って金龍寺が別当寺であったことがわかる。
またこの社は通称、雨の宮と呼ばれており、往時から雨を願っ て祈れば願いがかなうほどの霊験があり、海上安全、開運厄除け、縁結び、安産などの 御利益がある。
御祭神 豊玉比女命
海神・大綿津見神の娘で、玉依比女命は妹。
海神・大綿津見神の娘で、玉依比女命は妹。
豊玉の玉は神霊を意味していて、満ち足りた霊を宿す女で巫女神である山幸彦命(穂穂手見)と結婚し、鵜葦草葦不愛命をもうけた。
(境内石碑より)
石碑に刻まれている文面からは祭神が豊玉比女命とあり、山幸彦命(穂穂手見)との皇子である鵜葦草葦不愛命との関連もうっすらですが入れています。
皇極天皇も海神の娘である豊玉比売の神威を借りようとしてこの場所を選んだのでしょう。
残念ながら詳しい文献等は確認されておりません。
速雨神社は宇母理比古神社同様、水害の被害を被っているために貴重な資料、社宝が水害に遭っているからです。(古老から氏子などに口伝で伝承されている模様)