awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

「にぎはやひ」から「はやひ(し)」(饒速日命)

f:id:awa-otoko:20141214171749j:plain
「本郡林村郷司谷に宮居せる神ありて、河畔に梅林をつくり給ひ、自ら慰みておはせ事ありき其後 開化天皇の御宇、伊香色雄命来りて同村日吉谷に宮居し給ひし頃、梅林を東西に分ちしと伝ふ。」(阿波郡誌)
 
物部氏蘇我氏、葛城氏等、朝廷の伴として仕えた倭の有力豪族の祖は「伊迦賀色許売命(いかがしこめ)」伊迦賀色許男命(いかがしこを)」姉弟であります。
 
「姓氏録」には伊迦賀色許男命」は「饒速日命(にぎはやひ)」の六世孫とありますから、
 

イカガシ姉弟の祖神は饒速日命(にぎはやひ)」

となります。

 
f:id:awa-otoko:20141214171811j:plain
 
まず、ここはイカガシ姉弟の痕跡を説明するのが分かりやすく優先すべきことなのですが、へそ曲りな私は「饒速日命」の伝承で進めたいと思います。(笑)
 
と、言ったものの、現在はさすがに饒速日命の神名は忘れられているようです。
 
しかし、一部では
 

「にぎはやひ」の「はやひ」が変化して「林(はやし)郷、郷司(はらし、ごうし)」谷

となった伝承が残ります。

 
周辺には「饒速日命」が好んだという古代からの「林」が西林、東林に今もなお広がっているそうです。
 
また「饒速日命」は「古事記」の神武東征条で、伊那佐の山の歌のあと、神武のもとに天降ってきて天津瑞(みしるし)を献ったとあります。
 
郷司谷のすぐ下流(東)に伊沢(旧 伊那佐和(いなさわ))、伊沢谷川(伊那佐和谷川)があり、その上流が歌の中の「伊那佐の山」にあたると伝えられます。
 
さらに神武天皇が即位後の国見で「昔、饒速日命がこの国に降ったとき、そらみつやまとの国と名付けたと曰う」とあるのですが、郷司谷のすぐ上流(西)が「そら地方、みつ地方のやまと」にあたる美馬郡なんです。
 
このように饒速日命伝承が残る「長峰」は阿讃山脈から南に伸びる七つの舌状丘陵が櫛状に連続する地形。
西から数えて二つ目の丘が弥生中期後半を中心とする高床式建物や竪穴住居等二十数棟が発見された西長峰遺跡。
饒速日命の伝承が生まれる条件は備えているといえるでしょう。
 
 
【オマケ】
 
西長峰遺跡に鎮座する神社にアッタクしてきました。
 
まず「神明神社」。
怪しいのが鳥居扁額に「新大明神社」とある部分ですね。
 
f:id:awa-otoko:20141214171644j:plain
f:id:awa-otoko:20141214171655j:plain
f:id:awa-otoko:20141214171706j:plain
 
そして「稲荷神社」。
 
f:id:awa-otoko:20141214171719j:plain
f:id:awa-otoko:20141214171734j:plain
 
二社とも立派な神社でしたが「徳島県神社誌」には掲載されていないので詳しい由緒や祭神はわかりませんでした。(アタックした意味なし)
 
それにしても西長峰遺跡の長峰古墳を撮影し忘れたのはかなりイタイ…です。(今回のテーマが台無し…)
f:id:awa-otoko:20141214171924j:plain
ハァ… とりあえず現地から出土したものだけでもネットから拾って掲載しときましょう…
 
 
やっぱり「伊迦賀色許売命」「伊迦賀色許男命」の姉弟をテーマにした方が良かったのかと書き終えてから思ったので、いずれ気が向いたときに書こうと思います。