天津麻羅と八咫の鏡

「天安川の河上の天堅石を取り、天金山の鉄を取りて、鍛人(かぬち)天津麻羅を求(も)ぎて、石凝姥命(いしこりどめのみこと)に科せて、鏡を作らしめ… 」
天津麻羅は天目一神(あめのまひとつのかみ)と同神とされる鍛冶の祖神。
しかし「古事記」では神や命などが用いられず、呼び捨てにされていることから当時は鍛冶師の通称であったと考えます。

さて、徳島市多家良町金谷に日本一の巨大陽石を御神体とする立岩神社があります。
高さ七㍍、幅四㍍の巨石で基部正面に二個の大玉石が配され、男根を象徴しています。(ふいごの説もある)

冒頭にあるように「天津麻羅」は「八咫の鏡」をこの地で製作したと推定されており、「八咫の鏡」は「立岩神社」、「金山神社」に隣接する「八多町(はたちょう)」に由来するとされ、我が国治金技術発祥の地がここであるといわれています。
それでは「金山神社」も続けて紹介しましょう。金山神社 - Google マップ

徳島藩の史書である「阿波誌」には「御火社」と記され、祠の右側のえぐれた場所が「古代のたたら跡」。
古代に「たたら」があったから、「多家良(たから)町」と地名がついたのでしょう。このほかにも、隣接した地域に「八田」「金谷」「小路地」「尾羽丁」などがあります。


個人的には立岩神社も金山神社も元々は一つの祠であったと考えてます。
危険を伴う仕事場(たたら場)に分祀されたものが各々祠として祭祀されたのではないでしょうか。
天津麻羅が製作した「八咫の鏡」の伝承は、阿波のたたら場(多家良町)に今も残されていますよ。