アキノカミはウカノカミ(大元大明神)
板野郡 明神(アキノカミ)村に大明神と申す神社あり、今は大元大明神と申せり、祭神は国常立尊なり
天正年中に兵火にかかり、社殿の焼亡、その後再興したと古老云、当社は往古阿波国に鎮座ましまし境内に大樹多く有りける、或時彼国君の命に依て国中の山林及神木をも伐らしめ給ふ事ありて、彼ら神木に及びしが、人夫数多恠我等有し故、是を卜者にとへば此の神の祟りなりと云しかば、誰有て再び切らんといふ者なく、遂に国君の聴に達しける、被ノ国君聞玉ひ、故有て我領分の樹木切らしむるに我邦内を守護ありける神なれば、我樹を伐らしむる所以を知り玉ふべきなり、何の恐れか是あらむ、明けなば即時に切倒すべしと命ありけるが、翌朝彼の社人庁へ出て云、神前の扉自然に開け神躰空しく成玉ふと訴ければ、又また公命ありて、さあらば明の宮と改め、其の儘祭るべしとて、今猶彼地にも社殿造営しけるとなむといへり
今回は鳴門市瀬戸町明神の「大元神社(大明神)」です。
さて、長い引用文を読んで貰えればありがたいのですが、ナンダカンダで神が居なくなったので「明の宮(あきのみや)」と呼ばれると伝えてます。いわゆる「空きの宮」。
現在は実体がつかめない神。そういう意味合いで祀られている可能性もあります。(国常立尊は妙見信仰で原初の神としての側面もありますが… )
そしてあらゆる神を集めた賑やかな境内。
空き宮になった時から、あらゆる神様を集めてきた感じがします。
話を戻します。
また、「明の宮」の神は明神(あきのかみ)。
明神(あきのかみ)と呼んでいたものが「明神(みょうじん」、大の字が混合して「大明神」と呼ばれるようになって広がったのではないかという伝承が残されています。
そして今回の一番大事なところ。(笑)
「アキノカミ」は「ウカノカミ」の転訛。
ということは…
「ウカノカミ」とは「倉稲魂命(ウカノミタマ)」
そう。日本全国に一番多く祀られている稲荷神です。ウカノミタマ - Wikipedia
整理すると、
板野郡明神村の大元大明神は「倉稲魂命」であり、この空位になった神社から明神、大明神という神名が派生したということ。
(あくまで可能性があるという意味で読んでくださいね。)
なんで空位になったのか…
それは他の場所に倉稲魂命の御神体を移動させたから。
「倉稲魂命」どこに行ったか…
ちなみに倉稲魂命。阿波の穀物神 大宜都比賣命と同神とされています。オオゲツヒメ - Wikipedia
私が当blogをスタートした初回の投稿にも記載したのですが「上一宮 大粟神社」の宮司は「当社は稲荷神社の元社である」とはっきり申しております。(あと別の証拠もあるのですが、私が調査していないので出す訳にはいかないもんで。苦笑)
その考えからでの大体のルートとしては、
そして板野郡上板町「鹿江比売神社」へ。
そして鳴門市瀬戸町堂ノ浦「阿波井神社」と瀬戸町明神の「大元大明神」であると考えています。
まだまだ調査不足ですから断定はできませんので、とりあえずは途中結果を報告。
仮に「倉稲魂命」の内容が外れていたとしても、「明神」と「大明神」の派生がここにあったというのはアリなんではないかと。
それは神の名前で示していると考えてみませんか。
「大元大明神」
「明神、大明神の大元(大本命)」ですよと。