awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

天帶の宮(雨降神社)

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南新居村にある和多都美豊玉比賣社は「延喜式内」にある社で、祭神豊玉姫、俗に雨降の宮と言はれてゐる。
(中略)
神名帳」名方郡の和多都美豊玉比賣神社といふのは、和多都美神御子 豊玉比賣神の義であって「神名帳」對馬島上縣の和多都美御子神社あるなど、考へ合すべきである。
和多都美豊玉比賣神社の他に、名方郡の御座に、天石門別八倉比賣神社といふのがるが、これについては、「古事記傳」第十七巻、豊玉比賣の條に、「これは、如何なる由の名にかあらむ。」と疑はれたれど、此二神の御名、天石門別八倉比賣神社の神名の天石門別神御子 八倉比賣神と申す御子の二字を略けるものである例になづらへて知るべきである。殊に、同じ豊玉比賣と申す神名に、天石門別とかぶらせしと、和多都美とかぶらせしとにて、いよいよ天石門別神の御子和多都美の御子なること思ひきはむべきである。(日本伝説叢書 阿波の巻より)
 
あまたらしの宮。
現在、徳島市不動町に鎮座する降神社(天帶神社 あまたらしじんじゃ)でございます。
 

「帯(たらし)」とは…

海人族の冠名。
「天帯(あまたらし)」、「息長帯(おきながたらし)」と使われているように、身分の高い海人族の名乗りには、「帯(たらし)」が使われております。
古事記」序文に「帯の字を多羅斯(たらし)と謂ふ」と注釈をつけてあるのをみては、大変珍しい冠姓であったようです。
 
ちなみに「蜑(あま)」は一般階層の海人の名乗とのこと。(蜑男狭磯 あまのおさし 等)
 
このように「天帯(あまたらし)神社」は海人族とひじょうに密接した神社です。
そのために海人族の大女王である「和多都美豊玉姫」が祭神とされているのでしょう。
 
1.5㌖四方に個々に設置された東西南北の鳥居で昔の崇敬の大きさがわかります。
 
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さて、「天帶神社」を写真で確認して頂きましょう。

 
 
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あれ? 社殿がない…  

(;・∀・)ァ・・ アハハ・・・ハハ・・・・
 
 
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現在、2011年の台風にて社殿に被害を被り、御神体は西隣りの八幡神社

遷座中でございます…

 
 
 
 
イメージがわかないと思うので取り壊す前の社殿を掲載しておきましょう。(笑)
 
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社殿そのものの老朽化が進み、風雨により屋根に大穴が開いていました。(;¬∀¬)(汗)
 
このように「天帯神社」本来の由緒を知る関係者も少なく、寂れてしまっている状態でした。
 
 
ここからは想像の話。
過去記事に「天帯神社」は孝安天皇(こうあんてんのう)が祀られているのではないかと書きました。

孝霊天皇の血縁(天佐自能和氣神社) - awa-otoko’s blog

 

それは孝安天皇の御子である「孝霊天皇」からの血族の痕跡が近くに固まっていること。
 
そして孝安天皇の和風諡号が「日本書紀」では「日本足彦押人天皇(やまとたらしひこくにおしひとのすめらみこと)、「古事記」では「大倭帯日子国押人命」と呼ばれ、「帯(たらし)」を冠した海人族の天皇であった可能性が高いからです。
 
現在は徳島市内から石井町の吉野川沿岸部にかけて豊玉姫の痕跡が数多く残されているので、そちらの伝承にすり変わってしまったのかも…
祭神推古天皇の説もありますが、収拾がつかなくなるのでこちらはの説明はパス)
 
また、気になるところとしては冒頭の引用文の末尾にあったこの内容…
同じ豊玉比賣と申す神名に、天石門別とかぶらせしと、和多都美とかぶらせしとにて、いよいよ天石門別神の御子和多都美の御子なること思ひきはむべきである。
 
これは天石門別八倉比賣神社の祭神を「卑弥呼」に想定し、豊玉姫卑弥呼の宗女である「壹与」に見立てている部分があるような、無いような… (笑)
 
いずれにしても、由緒ある伝承と社殿の早い復活を心待ちにしています。
 
復活した折にはきちんと納得いく由緒書きは欲しいところです。
 
四方の鳥居にも説明板を。(知らない人は特に何の鳥居かわからない)
 
そして雨乞いしたから雨降り神社であるとか絶対止めて欲しい。
 

天帶の説明は必ず入れるべし!!

 
降神社の氏子さん、みてたらよろしくです。(笑)