湯蓋の森(春日部ノ屯倉)
日本書紀 安寧天皇の御巻に云、二年五月丙午朔甲寅置阿波国春日部屯倉云云、この屯倉何所ともしるべからずといへど、板野郡に春日といふ地ありて、そこに春日明神を祀れり、又社のあたりに楠の木のめくり十二三間許なる大木あり
これ若屯倉ありし所なりしを春日部といふによりて、春日明神を祭りたるならむか、其のほとり拠もなけれど、古き楠木か これかれあれど、かかる大木は此の御国うちにあることなし、いかさまにもゆゑある古き地なるべし、また此のあたりの地名を春日といふも、春日明神の坐すにとりていひ出し地名にもあらで、ふるくよりいへる地名なるべし、八幡宮本紀に云、御産所の側に生茂れる楠あり、其の下に産湯をめさせ給ふ、しかるに其の大木に繁茂し、枝葉ことにうるはし、後人これを名付けて湯蓋の森と云(此の楠今にあり其の周七囲余)云云。
安寧天皇の御宇に屯倉が置かれてより残る「春日」の地名。確かに今でも屯倉に相応しい田畑が周囲に広がっています。
まず現地へ行くと、広い参道と傍らにある鹿の墓に目が留まります。
大和の春日神社から神の使者ということで舟に乗せられて鹿がこの地にも居たようです。
そして朱赤の鳥居。
鳥居をくぐれば新しい社殿が見えてきます。
境内は広く、綺麗に清掃されてゴミ一つ落ちていません。
さて、それでは社殿の裏「湯蓋の森」に入ってみましょう。
冒頭にある阿波名所絵図にも記載されている「矢上の大楠」が凄まじい存在感で圧倒されます。
かなり幹は太く、文献により七囲であったり十二囲であったりと記載の違いはありますが、実際に目の当たりにすると「デカイ」の一言。
残念ながら過去の落雷で三分のニ程の範囲に焼け痕が残されています。しかし、「矢上の大楠」はまだまだ元気そうです。
湯蓋の森は静かに矢上の大楠とともに時間の経過を見てきた訳ですが「御産所の産湯」から… というのがポイントだと思います。
誰の為の「御産所」なのかちょっと調べてみてもいいかもしれませんね。
前回は長国(那賀郡)の屯倉を。
そして今回は板野郡 「春日部の屯倉」を紹介した訳ですが、麻植郡の屯倉も紹介する予定です。
はっきり言って屯倉シリーズ、面白くないw(苦笑)
自己満です。(いや、満足もしていなぃ… )
面白いネタは先輩阿波古代史ブロガーに採用されていますから、かぶらない阿波古代ネタを探すのに苦労します。
まぁ、言いたいことは面白いネタと面白くないネタがハッキリわかれますよーってことと、面白くないネタでも書かないといけない内容もあるってことです。
後々繋がりますからね。(^^)