awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

嵯峨天一神社の伝説(嵯峨天一神社)

 
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下字宮ノ本にある天一神社は嵯峨の奥の恵穂志嶽(えぼしだけ)の山頂に社がありました。
 
嵯峨天一神社は、その昔、天一神宮と呼ばれていましたが宝暦年間(1751〜1764)に天日神社と改称したそうです。
 
祭神は天照大神。(月読命、大白星神)
昔、恵穂志嶽(えぼしだけ)の山頂にあったとき、社を建て替える時期がきたので、村人が相談して建て替え工事が始まりました。
山頂に材木を運ぶのは大変であって怪我人も出たため、「出来ることなら御社を平地に移せたら」とある一人の村人が言い出しました。
これを聞いた他の村人も「それが出来たらいいのう」と皆が言い出し、神主さんに相談したそうです。
話を聞いた神主さんは嵯峨川で身を清め、二人の宮総代を連れて恵穂志嶽(えぼしだけ)の山頂の社へ。
着いた時は夜もふけ、満月が輝いていた。神主さんは社の中に入って深々と頭を下げ、「神様、お社の建て替えには村人は大変苦労をしています。どうか村人のために平地にお移りくださりますように。」
と恐る恐る申し上げると不思議なことに、お社の奥から「日の出と同時に弓で嵯峨の里に矢を射るべし。その矢が止まりたるところに、社を建てるがよい。」と厳かな声でお告げがありました。
宮総代は月明かりをたよりに坂道を駆け下りて村人に知らせました。
これを聞いた村人は大変喜び、あくる日、東の空が白々と明けると恵穂志嶽(えぼしだけ)の頂上を見上げながら矢が放たれるのを待ちました。
日の出と同時に矢が放たれ、矢は大きな弧を描きながら落ちてきました。矢は上嵯峨川のほとりに突き刺り、そこへ材木が運ばれ、やがて社が完成。時に弘仁2年(811)。

その時の話が今も口伝として伝承されています。

それから誰というなく嵯峨天一神社と呼ぶようになりました。
 
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ところでこの嵯峨天一神社。
ここだけの話、阿波では「伊勢神宮」の元社であるという説があります。
 
でも元社は入田町 西龍王山の麓にある「伊勢神社」であろうと考えています。
 
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